【世界遺産を巡る旅】イタリア中前編

イタリア

こんにちはnemoです。

新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。

【世界遺産を巡る旅】イタリア

75ヶ国目はイタリア。2021年8月現在、世界遺産55件(文化遺産50件、自然遺産5件)です。中国と並んで世界一。

イタリアは行ってみたい所が多すぎる。さすが世界遺産数世界一。もちろんそれ以外にも魅力たくさん。

それではイタリアの世界遺産を見ていきましょう。

アルベロベッロのトゥルッリ

登録:1996年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅴ)

アルベロベッロ

アルベロベッロのトゥルッリは、イタリア南部のアルベロベッロにある伝統家屋群で文化遺産です。

白壁に円錐形の石積み屋根を載せた「トゥルッロ」(複数形が「トゥルッリ」)が多数集まった景観を有します。アルベロベッロのトゥルッリは、開拓農民によって16世紀の半ばからの約100年間に建設されました。

トゥルッリは、かつてこの地方で広く見られましたが、アルベロベッロには多数のトゥルッリが現存して市街を形成し、住居や店舗として実用されており、貴重な景観を維持しています。

ラヴェンナの初期キリスト教建築物群

登録:1996年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)

ラヴェンナ

ラヴェンナの初期キリスト教建築物群は、イタリアのラヴェンナにある初期キリスト教の聖堂・礼拝堂で文化遺産です。

ラヴェンナは古代ローマ時代から中世にかけて繁栄しました。今日残る聖堂や礼拝堂は、西ローマ帝国の皇妹皇母ガッラ・プラキディア、東ゴート王国の王テオドリック、東ローマ帝国・ユスティニアヌス1世時代のラヴェンナ司教マクシミアヌスの活動によって建設されたものです。750年までに、この街には60以上の聖堂が建設されていたことが伝えられています。

ピエンツァ市街の歴史地区

登録:1996年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)

ピエンツァ

ピエンツァ市街の歴史地区は、イタリアあるコムーネの一つで文化遺産です。

ピエンツァはコルシャーノという小さな村落に過ぎませんでした。しかし、このコムーネ出身のピウス2世が教皇となると、ピウス2世はこの地を自らにちなんでピッコロミニと名づけ、理想のルネッサンス期の街づくりに挑みました。

フィレンツェの建築家ベルナルド・ロッセリーノを呼び寄せると、1459年から工事が始まり、大聖堂を始めとする豪奢を凝らした数々の建造物を残しました。大聖堂、教皇の館が連なるピッコロミニ広場などの街並みは世界遺産として現存しています。

カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョの邸宅群

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)

カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョの邸宅群は、イタリアのカゼルタ近郊にある宮殿、水道橋、邸宅で文化遺産です。

カゼルタ宮殿は、18世紀に建てられた宮殿の中で最も大きな宮殿といわれています。劇場、礼拝堂、博物館や1200もの部屋がある壮大な建物です。また、120ヘクタールの広さを持つ庭園は滝やギリシャ神話の彫刻噴水群が配されるなど、洗練された芸術作品のような美しさを誇ります。

ヴァンヴィテッリの水道橋は、ナポリ王カルロ7世の命令により、建築家ルイージ・ヴァンヴィテッリの設計によって建設されました。ローマ建築を模範に建設され、3層、最も高いところでは、55.8mの高さがあります。

サン・レウチョの邸宅群は18世紀後半、ナポリ王国の王たちが建設しました。特に、絹工場とその労働者のための住宅街は、当時の先進的な産業都市として知られています。

サヴォイア王家の王宮群

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅴ)

トリノ

サヴォイア王家の王宮群は、イタリアのトリノにある文化遺産です。

リソルジメント(イタリア統一運動)の際に、主力となったサヴォイア家は、統一イタリアの首都をトリノに定め、その周辺に様々な建築を残しました。多くの建物は当時の最新技術を駆使したもので、現在でもその威容を誇ります。

トリノ市中心部のカステッロ広場に面する王宮とその庭園をはじめ、当時政治を行った建物や王家の居所、狩猟要の建物等市内外に点在する建造物を含んでいます。

パドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)

パドヴァの植物園(オルト・ボタニコ)は、イタリアのパドヴァ大学付属の植物園で文化遺産です。

植物学者フェデリコ・ボナフェーデが構想し、建築家のアンドレア・モロニが設計しました。研究目的の大学付属施設の植物園としては世界で最も古いと言われています。

植物園内最古の植物は、1585年に植えられたヤシの木です。ゲーテが1786年にこの植物園を訪れた時に、このヤシの木を見て独自の自然観を得たとも伝わっています。

ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島、ティネット島)

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅴ)

チンクエ・テッレ

ポルトヴェーネレ、チンクエ・テッレと小島群(パルマリア島、ティーノ島、ティネット島)は、イタリアのリグーリアにあるコムーネや5つの村、島々で文化遺産です。

長大な海岸線リヴィエラ。その東部には、青く澄んだリグリア海に断崖が落ち込む荒削りな景観が続きます。海と切り立つ山に挟まれたわずかな土地に集落が形成されたのは、11~12世紀にかけてのことです。海岸沿いの崖に貼りつくように並ぶ色とりどりの家並みと、自然と共存しながら生きる人々の暮らしがこの土地の大きな特徴です。

モデナの大聖堂、市民の塔、グランデ広場

登録:1993年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)

モデナの大聖堂

モデナの大聖堂、市民の塔、グランデ広場は、イタリア・モデナにある文化遺産です。

モデナ大聖堂は、ヨーロッパで重要なロマネスク建築の一つに数えられます。モデナ出身の著名なテノール歌手ルチアーノ・パヴァロッティの葬儀が行われた場所としても知られています。現在のファサードは当初のものとは様式を別にしています。豪華なバラ装飾の窓は13世紀になってからアンセルモによって付け加えられました。

市民の塔は大聖堂に隣接する鐘楼です。高さ86.12mの塔の上からは市の周囲を一望でき、古くからモデナの主要なランドマークになっています。

グランデ広場は、12世紀にモデナ大聖堂前に建造された広場です。

ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅴ)

ポンペイ

ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域は、イタリアのヴェスヴィオ山の噴火によって埋もれてしまった遺跡群で文化遺産です。

ポンペイはイタリアのナポリ近郊にあった古代都市で、紀元前89年よりローマの自治都市となっていました。海に面した商業都市で、アッピア街道に物資を運ぶ拠点として栄えました。しかし、1世紀になると地震が頻発し、79年にはヴェスヴィオ火山が大噴火を起こします。時速100㎞を超える大火砕流は一瞬にして街を飲み込み、2000人の人々が犠牲になりました。

ヘルクラネウムは紀元前89年にローマの自治都市となりました。高級保養地として栄えたようです。こちらも同様に火砕流により溶岩と灰に覆われてしまいました。

トッレ・アンヌンツィアータではオプロンティスのヴィラが発見されました。これは、皇帝ネロの妻ポッパエアが所有していたと考えられています。

アマルフィ海岸

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅴ)

アマルフィ

アマルフィ海岸は、イタリアのアマルフィ一帯のサレルノ湾に面した海岸で文化遺産です。

「世界一美しい海岸」と云われる景勝地・避寒地です。海沿いには断崖絶壁と複雑な海岸線が入り組んでおり、斜面に白い街並みが点在しているのを見ることができます。紺碧の海の色は、世界一美しい海岸の異称にふさわしく、人々を魅了して止みません。

アグリジェントの考古的地域

登録:1995年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

アグリジェント

アグリジェントの考古的地域は、イタリアのシチリア島南部アグリジェントに残る考古遺跡で文化遺産です。

マグナ・グラエキアの芸術と建築に関する最高傑作の部類に属する遺跡群で、シチリア島の観光名所というだけでなく、イタリアの国定史跡にもなっています。は7つの神殿遺跡があるが、全てドーリア式である。神殿の名前の同定はオリンペイオンとは隔たっていますが、これは単なるルネサンス以降に慣例的に成立したものです。

ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ

登録:1995年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)

ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレは、イタリアのシチリア島にある古代ローマの別荘(ヴィッラ)で文化遺産です。

3世紀から4世紀ごろに建てられた間には、50を超える部屋があり、床は見事なモザイクで埋め尽くされています。「十人娘の間」と呼ばれる部屋には、スポーツを楽しむビキニ姿の少女たち。ダンベルのようなものを持っていたり、ビーチバレー風の仕草をしていたりと、とても現代的なモザイクがユニークです。

スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅲ)、(ⅳ)

スー・ヌラージ・ディ・バルーミニは、イタリア・サルデーニャ州バルーミニにあるヌラーゲ考古遺跡で文化遺産です。

紀元前1500年ごろより建設が開始されたヌラーゲは、3層のタワーになっています。サルデーニャ島では紀元前2000年前から青銅器時代の頃にヌラーゲとよばれる巨石を円筒・円錐状に積み上げたこの島独特の要塞構造の建物が、先住民族により造られていました。

アクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカ

登録:1998年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)

アクイレイア

アクイレイアの遺跡地域と総大司教座聖堂のバシリカは、イタリア北東部のアクイレイアにある文化遺産です。

アクイレイアは、紀元前181年に建設された古代ローマの植民都市に起源を持ち、ローマ帝政初期には大司教座も置かれ、ローマ帝国第四の豊かな商業都市でした。ア

クイレイアの遺跡の多くは未発掘のまま地下に眠っています。総大司教座聖堂のバシリカの床下から発見された床一面を覆う4世紀のモザイクが有名で、他にも発掘された遺跡は考古学博物館で確認が出来ます。

まとめ

イタリアの世界遺産を簡単にまとめてみました。数も多いし、見どころたくさんです。ぜひ行ってみたい。

早く自由に旅できる日がきてほしいですね!

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