【世界遺産を巡る旅】ポーランド

ポーランド

こんにちはnemoです。

新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。

【世界遺産を巡る旅】ポーランド

59ヶ国目はポーランド。2021年7月現在、世界遺産16件(文化遺産15件、自然遺産1件)です。

ポーランドも見所多いので行ってみたいですね。いろいろと見て周りたいところ。

それではポーランドの世界遺産を見ていきましょう。

クラクフ歴史地区

登録:1978年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)

クラクフ

クラクフ歴史地区は、ポーランドの都市で文化遺産です。

1257年に創建されたクラクフはポーランドの古都です。その歴史地区には、クラクフの中世の街並、ヴァヴェルの丘の建物群 、カトリックとユダヤ教徒の街カジミエシュという調和のとれた三つの地区があります。

工芸と美術の街クラクフは東洋と西洋の出会う場所でもありました。都市は高水準の保全がなされており、初期のロマネスク時代からモダニストの時代までの様式が見られます。

ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群

登録:1978年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)

ヴィエリチカ

ヴィエリチカとボフニアの王立岩塩坑群は、ポーランドにある岩塩の採掘坑で文化遺産です。

ヴィエリチカ、ボフニアの周辺地域には岩塩が埋蔵されており、13世紀から採掘が行われてきました。何百キロメートルにもわたる両鉱山の坑道内には塩でできた彫刻や地下礼拝堂などの芸術作品があります。鉱山は13世紀から20世紀のヨーロッパにおける採掘技術の発達の様子を示しています。

湿気が彫刻を脅かしていたため、一時期危機遺産にも登録されていました。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年)

登録:1979(文化遺産) 登録基準:(ⅵ)

アウシュヴィッツ

アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年)は、ポーランドにあるナチスの強制収容所で文化遺産です。

アドルフ・ヒトラー率いるナチスが行ったホロコーストの象徴と言われるアウシュヴィッツには、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによってナチス・ドイツにより併合されたポーランド領に建設・運営された強制、絶滅収容所網の一つです。

劣悪な住環境や食糧事情、蔓延する伝染病、過酷懲罰や解放直前に数次にわたって行われた他の収容所への移送の結果、9割以上が命を落としたとされています。

日本では負の遺産に分類されています。

ワルシャワ歴史地区

登録:1994年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅵ)

ワルシャワ

ワルシャワ歴史地区は、ポーランドのワルシャワにある第二次世界大戦後に再建された歴史地区で文化遺産です。

ワルシャワの旧市街は13世紀に建設されました。その後発展していったものの1944年のワルシャワ蜂起の際、ドイツ軍によって破壊されました。歴史地区の85パーセント以上が灰燼に帰しましたが、戦後、5年間の再建計画により、旧市街地は綿密に復元されました。1960年代の半ばまで再建は続き、ワルシャワ王宮 (1984年には観光客に開放された) の復元によって終了しました。

ザモシチ旧市街

登録:1992年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)

ザモシチ旧市街は、ポーランド南東部の都市で文化遺産です。

ザモシチは、1580年に、ポーランド・リトアニア共和国を構成するポーランド王国の宰相にして、陸軍の最高司令官でもあったヤン・ザモイスキが建設した町です。

西ヨーロッパ・北ヨーロッパと黒海を結ぶ結節点にあり、ヨーロッパ各地にバロック建築が流行し始めた時代に、イタリア・パドゥア出身の建築家であるベルナルド・モランドが建築を指示した後期ルネサンス建築が完璧な姿で残っています。ザモシチは、町自体が大砲が使われ始めた時代を背景に、函館市の五稜郭に似た死角のない要塞都市でもありました。

マルボルクのドイツ騎士団の城

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)

マルボルク

マルボルクのドイツ騎士団の城は、ポーランドにある中世にドイツ騎士団がプロイセンに建設した城で文化遺産です。

マルボルク城はドイツ騎士団により築城され、1309年に騎士団の本拠地がベニスからマルボルクに移ると、大幅に増築されました。

この城はブリック・ゴシック様式の中世の城の好例です。城は第二次世界大戦により激しい被害を受けたものの、以前の修復時の詳細な記録を元に再建されています。

中世都市トルン

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

中世都市トルンは、ポーランドの都市で文化遺産です。

トルンは中世ヨーロッパにおいて貿易・政治の中心地として栄えました。街にはニコラウス·コペルニクスの生家やトルン城などの中世の建築物が見られます。当時の街並みがほぼ完全に残されており、中世の生活様式を窺うことができます。

カルヴァリア・ゼブジドフスカ : マニエリスム建築と公園が織りなす景観及び巡礼公園

登録:1999年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

カルヴァリア・ゼブジドフスカ : マニエリスム建築と公園が織りなす景観及び巡礼公園は、ポーランド南部に位置する町にある文化遺産です。

17世紀初頭に地元の有力者ミコワイ・ゼブジドフスキが、この地をキリスト受難の丘であるゴルゴタに見立てて宗教的建造物群を建てたところから始まります。町の名前もそのことに由来しています。

自然の情景を活かしてキリストの受難が表現されており、優れた文化的景観を生んでいます。

ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群

登録:2001年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)

ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群は、ポーランドにあるヨーロッパ最大の木造宗教建築物であるで文化遺産です。

「平和教会」 と名付けられた福音派の教会が、現ポーランド領下のシレジア地方のヤヴォル、シフィドニツァ、グウォグフに建てられました。ヤヴォルの教会は聖霊の祈りに基づいたもので、シフィドニツァの教会は聖三位一体の祈りに基づいたものでした。それらは17世紀半ばのヴェストファーレンの平和のあとに起こった宗教論争のときに建てられたものなので、「平和教会」と名付けられたのです。

ヤヴォルの教会は1654年から1655年にかけて、シフィドニツァの教会は1656年から1657年にかけて建設されました。なお、3つ目の教会は1652年にグウォグフに建設されたものの、100年後に焼失しています。

マウォポルスカ南部の木造聖堂群

登録:2003年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)

マウォポルスカ南部の木造聖堂群は、チェコのモラヴィア地方オロモウツにあるバロック様式のモニュメントで文化遺産です。

中世後期に起源を持つこの地方の木造聖堂の様式は、ゴシック様式の装飾や色とりどりの細部で始まりましたが、木造であることから、石やレンガで出来たゴシック建築とは、構造も全体像も印象も大きく異なっています。

より後の時代に建設された木造聖堂には、ロココ様式やバロック様式の装飾的影響を示しているものもあります。これらの聖堂の形態は、この地方での東方典礼カトリック教会や正教会の存在に深く影響されています。いくつかの聖堂は上から見たときにギリシャ十字を形作っており、たまねぎドームを備えているが、最も興味深いのは、それらの特色が引き伸ばされた身廊や尖塔とともにローマ・カトリックの様式と組み合わさっていることです。

ムスカウ公園

登録:2004年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅳ)

ムスカウ公園

ムスカウ公園は、ドイツとポーランドの間を流れるナイセ川にまたがるイギリス式庭園で文化遺産です。

この地を所有していたドイツのヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵は、その頃イギリスで流行していた風景式庭園の手法に基づいて1815年に造園に着手しました。彼は木や水流などの自然物を風景画のように配置する一方、それらと調和するような建物の建築・改築を行いました。

公園は周囲の景観と調和するように造られており、学問としてのランドスケープ建築の発展に大きな影響を与えました。公園はポーランドとドイツの国境に位置し、両国によって共同管理がなされています。

ヴロツワフの百周年記念ホール

登録:2006年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)

ヴロツワフの百周年記念ホール

ヴロツワフの百周年記念ホールは、ポーランド・ヴロツワフにある20世紀初頭の建造物で文化遺産です。

ホールはライプツィヒの戦いの百周年を記念する展示会のために、1911年から1913年にかけて競馬場跡にマックス・ベルクの計画に従って建造されました。

内部の直径69メートル、高さ42メートルの鉄筋コンクリート製の丸屋根構造で、初期のモダニズム建築であるこのホールは、当時のコンクリート建築物としては最大を誇ります。

ポーランドとウクライナのカルパティア地方の木造教会群

登録:2011年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)

ポーランドとウクライナのカルパティア地方の木造教会群は、ポーランド、ウクライナに点在するに点在する木造教会群で文化遺産です。

16世紀から19世紀に建造されたギリシア正教会の16の聖堂で構成され、この地方の4つの民族への文化的な拡大と、様式的・装飾的・技術的特徴を代表するものです。いずれも東方正教会もしくは東方カトリック教会によって建てられたものですが、現在は異なる宗派に利用されているものや、公有財産として博物館に転用されている例もあります。

建築は前期ハールィチ型、後期ハールィチ型 、ボイコ型、フツル型、レムコ型の5つに分類されます。

タルノフスキェ・グルィの鉛・銀・亜鉛鉱山とその地下水管理システム

登録:2017年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)

タルノフスキェ・グルィの鉛・銀・亜鉛鉱山とその地下水管理システムは、ポーランドのシレジアにある鉱山と銀産業の跡地で文化遺産です。

山岳地帯に位置するほとんどのヨーロッパの鉱山と比べて起伏の緩やかな台地に位置し、また出水量も多いことから、排水システムが発展しました。現在も、この水管理システムは設計当時とほぼ同じように稼働しており、タルノフスキェ・グルィの住民に飲料水を供給しています。

クシェミオンキの先史時代の縞状燧石採掘地域

登録:2019年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)

クシェミオンキの先史時代の縞状燧石採掘地域は、ポーランドにある新石器時代および青銅器時代初期の燧石鉱山郡の1つで文化遺産です。

新石器時代から青銅器時代にかけての (紀元前3900年から1600年頃) 4つの燧石採掘場の複合体です。これまで に確認された中で最も大規模な先史時代の燧石採掘・加工システムの一つであり、先史時代の集落における生活や労働の様子が分かります。

ビャウォヴィエジャの森

登録:1979年(自然遺産)、1992年、2014年拡張 登録基準:(ⅸ)、(ⅹ)

ビャウォヴィエジャの森は、ポーランドとベラルーシの国境にまたがる原生林で自然遺産です。

ヨーロッパに残された最後の原生林と言われ、貴重なヨーロッパバイソンの棲息地としても知られています。

1979年、ポーランド側がユネスコの世界遺産に自然遺産として登録され、ベラルーシ側は1992年に追加登録されています。

1979年の登録当初は自然美を理由とする基準 (ⅶ)が適用されていましたが、2014年の再推薦で生態系や生物多様性を理由とする基準の変更が行われました。

まとめ

ポーランドの世界遺産を簡単にまとめてみました。知らないものもあるし、いろいろ周ってみたいですね。

早く自由に旅できる日がきてほしいですね!

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