こんにちはnemoです。
新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。
【世界遺産を巡る旅】セルビア
51ヶ国目はセルビア。2021年7月現在、世界遺産5件(文化遺産5件)です。
セルビアもこれと言った印象がない国です。実際はいろいろあるんだろうけど、思い浮かばない。旧ユーゴスラビアってことぐらい。
それではセルビアの世界遺産を見ていきましょう。
スタリ・ラスとソポチャニ
登録:1979年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅲ)
スタリ・ラスとソポチャニは、セルビアのノヴィ・パザル周辺に残るラスの遺跡とソポチャニ修道院、および近隣の関係する建造物群で文化遺産です。
1979年に当時のユーゴスラビアの世界遺産として登録されたもので、現在のセルビア領内の世界遺産としては最初に登録されたものです。かつての王都であったラスの遺跡のほか、セルビア最古の聖堂や、セルビアに残るもので最も美しいとされるフレスコ画をとどめる修道院などが登録されています。
スタリ・ラスは、「古いラス」の意味で、10世紀から13世紀の間、ラシュカ地方の主都だった都市の遺跡です。
ソポチャニ修道院は、1260年頃に建てられたセルビア正教会の修道院です。付属聖堂の至聖三者聖堂に残るフレスコ画作品『生神女の就寝』は、作者は不明であるものの、セルビアに残るフレスコ画の中では最も美しいものと評されており、13世紀のビザンティン美術の中でも特に優れたものの一つともされています。
ストゥデニツァ修道院
登録:1986年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅵ)
ストゥデニツァ修道院は、セルビア中央部、クラリェヴォの南西39 km に位置するセルビア正教会の修道院で文化遺産です。
中世セルビア王国の建国者であるステファン・ネマニャが1190年に設立したものです。修道院は城壁で囲まれ、生神女聖堂と「王の聖堂」という、ともに白い大理石でできた二つの付属聖堂を擁しています。13世紀から14世紀にかけてのビザンティン美術の精華と見なしうる美しいフレスコ画群の存在が有名です。
コソボの中世建造物群
登録:2004年(文化遺産)、2006年拡張 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)
コソボの中世建造物群は、コソボにあるセルビア正教会の4つの教会堂や修道院で文化遺産です。
パレオロゴス朝ルネサンス様式の美しい建造物であるとともに、中世の優れたフレスコ画が保存されています。
コソボの政情不安定さにより、危機遺産リストにも加えられています。なお、コソボは世界遺産条約未締約であり、世界遺産センターではセルビアの世界遺産に分類されています。
ガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナ
登録:2007年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)
ガレリウスの宮殿ガムジグラード=ロムリアーナは、北マケドニアとアルバニアにまたがる複合遺産です。
古代ローマ皇帝ガレリウスが生まれた場所であり、死後埋葬された場所でもある城塞、ロムリアーナの遺跡が残っています。ロムリアーナは、ここを特権的な住居として使ったガレリウス帝の治下で繁栄を謳歌しました。彼はそこに城壁を築き、宮殿を建てました。ロムリアーナの城砦群は、今日では西門と主要な城壁が残っています。
中世墓碑ステチュツィの墓所群
登録:2016年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅵ)
中世墓碑ステチュツィの墓所群は、ボスニア・ヘルツェゴビナや中世にボスニア王国の領域であったクロアチア、モンテネグロ、セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境付近に散在する巨大な中世の墓碑で文化遺産です。
ステチュツィの特徴は墓碑に様々な装飾がモチーフにされていることですが、これらは今日でも謎が秘められています。墓碑には渦巻き状の物や連続したアーチ状の模様、ブドウの葉や実、太陽や三日月が表れています。
ボスニア・ヘルツェゴビナ国内ではおよそ6万が、クロアチアやセルビア、モンテネグロでは1万のステチュツィが発見されています。ステチュツィが現れ始めたのは11世紀のことで、これらがピークを迎えたのはオスマン帝国の支配により消える以前の14世紀や15世紀のことでした。ステチュツィの墓碑は中世のボスニア王国や当時異端とされていたボスニア教会に属していました。
【世界遺産を巡る旅】モンテネグロ
52ヶ国目はモンテネグロ。2021年7月現在、世界遺産4件(文化遺産3件、自然遺産1件)です。
モンテネグロもこれと言った印象がない国です。実際はいろいろあるんだろうけど、思い浮かばない。旧ユーゴスラビアってことぐらい。
それではモンテネグロの世界遺産を見ていきましょう。
コトルの自然と文化歴史地域
登録:1979年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)
コトルの自然と文化歴史地域は、モンテネグロの都市で文化遺産です。
アドリア海沿岸でも中世の古い町並みが良く保存された街です。コトルの歴史は古くローマ時代に遡り、ビザンチン帝国、セルビア王国などの強国の下で自治を保ち、あるいは支配を受け交易都市として栄え航海技術も発達してきました。
様々な文化の影響を受けてきたコトルは、キリスト教もカトリックと正教会の文化圏が重り、12世紀にロマネスク様式で建てられた聖トリフォン大聖堂、ロマネスク・ビザンチン様式の聖ルカ教会など、町には双方の教会が共存しています。
中世墓碑ステチュツィの墓所群
登録:2016年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅵ)
中世墓碑ステチュツィの墓所群は、ボスニア・ヘルツェゴビナや中世にボスニア王国の領域であったクロアチア、モンテネグロ、セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境付近に散在する巨大な中世の墓碑で文化遺産です。
ステチュツィの特徴は墓碑に様々な装飾がモチーフにされていることですが、これらは今日でも謎が秘められています。墓碑には渦巻き状の物や連続したアーチ状の模様、ブドウの葉や実、太陽や三日月が表れています。
ボスニア・ヘルツェゴビナ国内ではおよそ6万が、クロアチアやセルビア、モンテネグロでは1万のステチュツィが発見されています。ステチュツィが現れ始めたのは11世紀のことで、これらがピークを迎えたのはオスマン帝国の支配により消える以前の14世紀や15世紀のことでした。ステチュツィの墓碑は中世のボスニア王国や当時異端とされていたボスニア教会に属していました。
16世紀から17世紀のヴェネツィアの防衛施設群:スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール
登録:2017年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)
16世紀から17世紀のヴェネツィアの防衛施設群:スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マールは、かつてのヴェネツィア共和国領内に築かれた防衛施設群複合遺産です。
3カ国(イタリア、クロアチア、モンテネグロ)6箇所の防衛施設はヴェネツィア共和国の陸と海の防衛を果たすために、北はイタリアのロンバルディア地方から南は東部アドリア海沿岸に1000kmに渡って点在しています。防衛施設群はヴェネツィア共和国の拡張と権威を保障し、火薬の登場による軍事技術と要塞設計に大変革をもたらしたことで、広くヨーロッパの要塞建築の模範となったことでも知られています。
ドゥルミトル国立公園
登録:1980年(自然遺産)、2005年拡張 登録基準:(ⅶ)、(ⅷ)、(ⅹ)
ドゥルミトル国立公園は、モンテネグロにある国立公園で自然遺産です。
国立公園は、氷期に形成された起伏に富んだ地形に、多くの動物も生息しており、ヨーロッパオオライチョウ、ヒグマ、シャモア、オオカミなどが代表的です。猛禽類もイヌワシ、ボネリークマタカ、ヒメクマタカ、シロエリハゲワシ、ハヤブサ、ワシミミズクなど多彩です。
密猟により状況は悪化しているようですが、危機遺産には登録されていません。
【世界遺産を巡る旅】ボスニア・ヘルツェゴビナ
53ヶ国目はボスニア・ヘルツェゴビナ。2021年7月現在、世界遺産3件(文化遺産3件)です。
ボスニア・ヘルツェゴビナは紛争があったことで多少知っています。何があるかまではあまりよく知らないので勉強しましょう。
それではボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産を見ていきましょう。
モスタル旧市街の古い橋の地区
登録:2005年(文化遺産) 登録基準:(ⅵ)
モスタル旧市街の古い橋の地区は、ボスニア・ヘルツェゴビナの都市モスタルにある16世紀の橋で文化遺産です。
16世紀のオスマン帝国時代に建造され町の象徴となっていたこの橋は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中にあたる1993年11月9日午前3時にクロアチア系のカトリック民兵によって破壊されましたが、その後復興計画が持ち上がり、2004年6月23日に復興工事が完了しました。
この橋は、建造当時では世界唯一のシングル・スパン・アーチであったと考えられているので、その意味で、当時の最も優れた建築物のひとつに数えることが出来ます。
ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋
登録:2007年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)
ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋は、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部、スルプスカ共和国の町ヴィシェグラードにある橋で文化遺産です。
オスマン帝国の宮廷建築家だったミマール・スィナンが16世紀末に手がけた橋で、当時のオスマン帝国の建築水準の高さを例証する産業遺産として、評価されています。
20世紀の二度の世界大戦で壊滅的な被害を受けましたが、その後再建されて今に至ります。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中のヴィシェグラードの虐殺では惨劇の現場にもなりました。
中世墓碑ステチュツィの墓所群
登録:2016年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅵ)
中世墓碑ステチュツィの墓所群は、ボスニア・ヘルツェゴビナや中世にボスニア王国の領域であったクロアチア、モンテネグロ、セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境付近に散在する巨大な中世の墓碑で文化遺産です。
ステチュツィの特徴は墓碑に様々な装飾がモチーフにされていることですが、これらは今日でも謎が秘められています。墓碑には渦巻き状の物や連続したアーチ状の模様、ブドウの葉や実、太陽や三日月が表れています。
ボスニア・ヘルツェゴビナ国内ではおよそ6万が、クロアチアやセルビア、モンテネグロでは1万のステチュツィが発見されています。ステチュツィが現れ始めたのは11世紀のことで、これらがピークを迎えたのはオスマン帝国の支配により消える以前の14世紀や15世紀のことでした。ステチュツィの墓碑は中世のボスニア王国や当時異端とされていたボスニア教会に属していました。
まとめ
セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの世界遺産を簡単にまとめてみました。あまりなじみがない国々ですが一度は訪れてみたいですね。
早く自由に旅できる日がきてほしいですね!
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