こんにちはnemoです。
新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。
【世界遺産を巡る旅】スペイン
80ヶ国目はスペイン。2021年8月現在、世界遺産47件(文化遺産42件、自然遺産3件、複合遺産2件)です。
スペインと言えばパエリヤ、ワインも有名。食も結構いい感じですね。
それではスペインの世界遺産を見ていきましょう。
カセレス旧市街
登録:1986年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)
カセレス旧市街は、スペインの都市カセレスにある文化遺産です。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路のセビーリャからアストルガに至る「銀の道」途上の町です。城壁に囲まれた狭い敷地に中世都市の街並みが残っています。
14世紀に地中海貿易が盛んになると、カセレスは南方からの物資を北方やポルトガルに運ぶ中継地点となり、自由交易の地として栄えました。交易で裕福になった貴族たちの間では、対立が絶えず、館を要塞化して、邸宅脇に防衛のために射眼付き監視塔を建てました。旧市街には、この時代に建てられたゴシック様式の館が多く残っています。
セビリアの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館
登録:1987年(文化遺産)、1994年拡張 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅵ)
セビリアの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館は、スペインの都市セビリアにある文化遺産です。
セビリア大聖堂はスペイン有数の規模を持つ大聖堂であり、「世界3位の大きさの大聖堂」と紹介されることがあります。 隣接するヒラルダの塔は、かつてモスクの尖塔(ミナレット)でした。モスクを破壊したあとに教会が建てられていますが、建物自体にモスクの名残がいくつかみられます。クリストファー・コロンブスの墓があることでも有名。
アルカサルは、14世紀にカスティーリャ王ペドロ1世の命により、イスラム時代の宮殿の跡地にムデハル様式で建設が始められました。グラナダのアルハンブラ宮殿を意識した構造になっています。15世紀から16世紀にも増築されたため、ゴシックやルネサンスなどの様式も混じっています。
インディアス古文書館は、所蔵史料の価値もさることながら、この建物はフアン・デ・エレーラがデザインしたもので、ルネサンス建築の中でも、落ち着いた佇まいを持つイタリア化したスペイン建築の例証として際立っています。
サラマンカの旧市街
登録:1988年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)
サラマンカの旧市街は、スペインのサラマンカ市の旧市街で文化遺産です。
レコンキスタが進み、この地がキリスト教圏になるとアルフォンソ9世によってサラマンカ大学が設立され、サラマンカは「知識を欲するものはサラマンカへ行け」と言われるほどになりました。
大航海時代には、天文学の知識などが大いサラマンカ大学で研究される一方、反宗教改革や異端審問の舞台にもなりました。サラマンカの市街はイスラム様式からヨーロッパのゴシック様式やサン・エステバン修道院のバロック様式などヨーロッパの建築文化が集積されることになりました。
また、酸化鉄を含んだ石材からなる建造物の町並みはサラマンカを比類なき美しい町であると賞賛されるにいたりました。
ポブレー修道院
登録:1991年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅳ)
ポブレー修道院は、スペインのカタルーニャ州タラゴナ県にあるシトー会の修道院で文化遺産です。
様々な建築様式が入り混じっており、入口はバロック様式、回廊の柱はロマネスク様式、アーチはゴシック様式となっています
。また、3重の外壁が設けられており、王室や礼拝堂を守る最も内側のものは600m、修道院で労働に従事する農民と農地を守る外側のものは全長2㎞あります。この堅固な外壁は、砦の役割を果たすと同時に、厳しい戒律で知られるシトー会修道士の生活を守る役割も持ち合わせていました。
メリダの考古遺産群
登録:1993年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)
メリダの考古遺産群は、スペインの都市メリダにある文化遺産です。
メリダは紀元前25年に植民市「エメリタ・アウグスタ」の名前で建てられました。アウグストゥス帝の命により、グアディアナ川を渡る橋を守るためでした。
この都市はローマ属州ルシタニアの州都となり、ローマ帝国でも重要な都市の1つとなりました。メリダはスペインの中でもっとも重要なローマ建築を残しています。トラヤヌス帝時代の凱旋門はその1つです。
サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院
登録:1993年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅵ)
サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院は、スペインのグアダルーペにある修道院で文化遺産です。
4世紀以上に渡って、国で最も重要な修道院とされてきました。この修道院は16世紀に全盛期を迎え、修道院内の宿泊施設には巡礼者が何百人も寝泊りし、飼育する羊は1万頭を超えました。グアダルーペの聖母像崇拝は根強く、現在でも巡礼者は多くいます。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道
登録:1993年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅵ)
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミノ・フランセスとスペイン北部の道は、スペインにあるキリスト教の聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路で文化遺産です。
おもにフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道を指しています。登録はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の北スペインにおける道4区間と、16件の記念建造物群、合計20資産になりました。
レコンキスタの完了や、百年戦争、三十年戦争による混乱によって衰えた時期もありましたが、巡礼は現在まで続いています。現在の巡礼者スタイルは、徒歩、自転車、車などさまざまです。また、ガリシア州政府は観光の目玉として巡礼路をアピールしています。
歴史的城塞都市クエンカ
登録:1996年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅴ)
歴史的城塞都市クエンカは、スペインのクエンカにある文化遺産です。
クエンカの町の起源は、9世紀にムスリムが築いた断崖上の要塞にあります。後ウマイヤ朝時代には要塞から街へと発展しましたが、1177年にカスティーリャ王国のアルフォンソ8世が奪取し、カスティーリャ王国の主要都市のひとつとしてキリスト教化されました。
16世紀以降、崖の上は宗教的な建造物が集まるようになり、経済的な衰退局面に入った17世紀にも、むしろクエンカは宗教的な都市としては発展が続きました。
バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ
登録:1996年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅳ)
バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダは、スペインのバレンシアある15世紀後半に建てられた商品取引所で文化遺産です。
1482年から1498年に建設されたロンハは、当時のバレンシアの経済力の大きさを偲ばせる建造物です。これは商業の殿堂と理解されていたもので、機能的・実利的な側面を失うことなく、その極めて明白な象徴的特色を保持しています。
ラス・メドゥラス
登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)
ラス・メドゥラスは、スペインのポンフェラーダの近郊に広がる人工悪地で文化遺産です。
帝政ローマ時代に最盛期を迎えた金鉱山を主体としています。現在は跡地となっている当地の金鉱山は、そこから産出される金鉱の枯渇がローマ帝国滅亡の遠因になったとされています。ラス・メドゥラスは古代の鉱業によって生まれた産業遺産であり、優れた文化的景観を形成していることが評価されました。
バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院
登録:1986年(文化遺産)、2001年拡張 登録基準:(ⅳ)
バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院は、スペインのバルセロナにある文化遺産です。
カタルーニャ音楽堂は建築家リュイス・ドゥメナク・イ・ムンタネーによってムダルニズマの様式で設計されたコンサートホールです。1905年から1908年にかけて、カタルーニャ・ルネサンス(文芸復興運動)において指導的役割を果たした合唱団、ウルフェオー・カタラーのために建設されました。
モデルニスモの豪華なサン・パウ病院は1902年から1930年にかけて建築されました。設計はカタルーニャ音楽堂と同じく建築家リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーが手がけています。
ともに、20世紀初頭のバルセロナにおけるアールヌーボー様式を伝えるものとして評価されました。
サン・ミジャンのユソ修道院とスソ修道院
登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)、ⅵ)
サン・ミジャンのユソ修道院とスソ修道院は、スペインのサン・ミジャン・デ・ラ・コゴージャにある文化遺産です。
スソは「上方」、ユソは「下方」の意味で、ともに聖エミリアヌスに因む修道院です。2つの建造物群のうち、より古いのがスソ修道院です。10世紀のレポブラション(Repoblación, 再入植)期の建築様式の簡素さをしっかりと守っています。
ユソ修道院は1050年に建てられたルネサンス様式のものだったが、1367年にエドワード黒太子に荒らされ、その後再建されました。現存するものは全面的に再建されており、16世紀から18世紀のルネサンス様式やゴシック様式のものです。
まとめ
スペインの世界遺産を簡単にまとめてみました。数も多いですが、魅力的なものが多いですね。ゆっくり見て周りたいです。
早く自由に旅できる日がきてほしいですね!
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