【世界遺産を巡る旅】イラク、ヨルダン

イラク

こんにちはnemoです。

新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。

【世界遺産を巡る旅】イラク

32ヶ国目はイラク。2021年5月現在、世界遺産6件(文化遺産5件、複合遺産1件)です。

ジグラット

イラクは行ってみたいと思うけど、今はどうなんでしょうね。メソポタミアやバビロニアなど歴史を感じれるところがある印象。いつか行ってみたい。

それではイラクの世界遺産を見ていきましょう。

ハトラ

登録:1985年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)

ハトラは、イラク共和国北部ニーナワー県に残る歴史的な都市遺跡で文化遺産です。

別名を「神の家」。ハトラはローマ帝国とパルティアを結ぶキャラバンルート上の交易都市、要塞都市として重要で、ローマ帝国の度重なる攻撃に曝されました。直径2キロメートルの円形の城壁に囲まれたハトラは、城壁に163もの塔を作り敵の動きを監視した反面、入口の門は4門しか作らず、ローマ軍を中に入れませんでした。

ISILの破壊により2015年危機遺産に登録されました。

アッシュル(カルアト・シェルカート)

登録:2003年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)

アッシュル(カルアト・シェルカート)は、イラクにある古代アッシリアの都市で文化遺産です。

シュメール人が建設し、西アジアの通商路として発展しました。紀元前3000年紀末からアッシリア王国、紀元前14~同9世紀にはアッシリア帝国の首都になり、アッシュール神を戴く宗教的拠点としても繁栄しました。

調度品などの遺跡が発掘され、楔形文字の文書史料では38の神殿があったとされていますが、その大部分はまだ発掘されていません。

紛争、および構想中のダム建設により2003年には危機遺産に登録されています。

都市遺跡サーマッラー

登録:2007年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)

都市遺跡サーマッラーは、イラクのサラーフッディーン県にある都市で文化遺産です。

836年、アッバース朝の8代カリフであるムウタスィムは、マムルーク軍団とアッバース朝正規軍の対立を背景として、即位3年ながら都をバグダードからサーマッラーに移しました。それから892年までの約50年間サーマッラーはアッバース朝の都であり続け、今日まで残るモスクとしては世界最大である
サーマッラーの大モスクが築かれるなど、一定の繁栄を保ちました。

マルウィヤ・ミナレットというサーマッラーの大モスクに付随している螺旋式のミナレットがあります。これはイラクで最も重要な遺跡の1つとされ、イラクの至宝とも評されていることで知られています。

イランの情勢悪化に伴い2007に危機遺産に登録されました。

アルビールの城塞

登録:2014年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)

アルビールの城塞は、イラク、クルディスタン地域のアルビールにある遺丘、城塞で文化遺産です。

アルビールの城塞を誰が作ったのかはわかっていません。新石器時代の陶器の破片が遺丘から見つかっているものの、はっきりした証拠としては銅器時代の陶器の破片が挙げられている程度です。有史最古の人間継続居住集落と言われています。

様々な勢力の支配を受けながら新アッシリア帝国の時代までには重要な都市として位置づけられるようになりましたが、モンゴル帝国の侵攻をにより陥落すると、その価値を失っていきました。

バビロン

登録:2019年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅵ)

バビロンは、イラクにあるメソポタミア地方の古代都市で文化遺産です。

紀元前18~6世紀の古代メソポタミア地域における主要な王国でした。ハンムラビ王は古バビロニア王国の6代目の王でメソポタミア地方を統一し、大都市となったバビロンは、泥れんがで造られた寺院や塔で構成される城郭都市として発展しました。

空中庭園やバベルの塔、イシュタル門などは世界的にも有名です。

南イラクのアフワール

登録:2019年(複合遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅴ)、(ⅸ)、(ⅹ)

南イラクのアフワールは、イラク南部の3つの考古学遺跡と4つの湿地帯によって構成される地域で複合遺産です。

ウルク、ウル、エリドゥの3つの古代都市遺跡があり、これらはシュメール人の痕跡だと考えられています。4つの湿地帯は世界的にも規模が大きく、「イラク湖沼地帯」とも呼ばれているようです。

アフワールのように、乾燥していてかつ高温である地域に形成された湿地帯は、世界でも他に例がなく、そういった意味でも極めて貴重なものとなっています。

【世界遺産を巡る旅】ヨルダン

33ヶ国目はヨルダン。2021年5月現在、世界遺産5件(文化遺産4件、複合遺産1件)です。

ヨルダンは元々行こうと思っていたところなので、行けるようになったら行こうと思います。その前に学んでおきましょう。

それではヨルダンの世界遺産を見ていきましょう。

ペトラ

登録:1985年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅲ)、(ⅳ)

ペトラ

ペトラは、ヨルダンにある遺跡で文化遺産です。

ナバテア人は、切り立つ岩壁を削り、大都市を建てました。立地条件の良さのため、紀元前1世紀ごろから、古代ナバテア人の有力都市として栄えました。

ペトラの特徴として、スパイス交易の拠点機能と治水システムがあげられます。20世紀の頭から発掘調査が行われ始めたものの、そのほとんどが未発掘とされています。中東三大遺跡とも言われています。

アムラ城

登録:1985年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅲ)、(ⅳ)

アムラ城は、ヨルダンにある浴場施設を中心としたウマイヤ朝時代の城館遺跡で文化遺産です。

8世紀頃のウマイヤ朝の王が、離宮として建設したといわれています。浴場は温水浴室・冷水浴室・サウナからなるローマ式で、カリフは貴族や親交のある集団の長らと入浴を共にしました。各部屋の床にはヘレニズム様式のモザイク・タイルが貼られ、壁面にはフレスコ画が遺されています。

現存するイスラーム帝国以降の浴場施設としては最古の部類に入ります。ドームやヴォールト部分をふくめ建物全体がほぼ完全に原形を保っており、また後期ヘレニズム様式の影響が残るフレスコ画は美術史の上でも貴重な資料でもあります。

メウム・アル=ラサス

登録:2004年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅳ)、(ⅵ)

ウム・アル=ラサスは、ヨルダンにある遺跡で文化遺産です。

ローマ帝国の占領時からイスラム教の王朝が支配した3世紀末から9世紀に都市を形成していたと考えられています。発掘はほとんど行われていませんが、古代ローマ帝国、東ローマ帝国、初期イスラム王朝の支配の下で築かれた要塞や教会などがあります。

8世紀建造の聖ステファン教会の床面には、マダバ、ガザなどの町を描いた保存状態のよいモザイクが残っていることで有名です。

洗礼の地「ヨルダン川の向こう側、ベタニア」(アル=マグタス)

登録:2015年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅵ)

洗礼の地「ヨルダン川の向こう側、ベタニア」(アル=マグタス)は、ヨルダンのバルカ県に残る考古遺跡で文化遺産です。

かつて洗礼者ヨハネが活動し、イエスの洗礼も行われたヨルダン川東岸の場所ベタニアと考えられており、遅くとも東ローマ帝国時代までには崇敬の対象となっていた場所です。「エリヤの丘」として知られる丘に残る修道院の遺構の区域と、聖堂、洗礼の池、巡礼者・隠者の住居などの遺構が残る川沿いの区域の2つの主要な考古遺跡地区を含んでいます。

ワディ・ラム

登録:2011年(複合遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅴ)、(ⅶ)

ワディ・ラムは、ヨルダン南部に位置する砂岩と花崗岩でできた谷で複合遺産です。

先史時代より多くの人類文化を育んできており、ナバテア王国の人々が残した壁画、落書き、遺構などが残されています。また、砂漠に見られる多様な景観が特徴的で、狭隘な渓谷、自然に形成された岩石のアーチ、切り立った崖や急な傾斜地、大規模な地すべりによってできた地形や大きな洞窟など、変化に富んだ地形を至るところに確認できます。

まとめ

イラン、ヨルダンの世界遺産を簡単にまとめてみました。歴史を感じる遺産が多くありますね。まだまだ知らないもののたくさんあるので、勉強していきます。

早く自由に旅できる日がきてほしいですね!

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