【世界遺産を巡る旅】イタリア前編

イタリア

こんにちはnemoです。

新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。

【世界遺産を巡る旅】イタリア

75ヶ国目はイタリア。2021年8月現在、世界遺産55件(文化遺産50件、自然遺産5件)です。中国と並んで世界一。

イタリアと言えば料理、サッカー、歴史などなど。行ったことありますけどすごく良かったです。また行きたい。

それではイタリアの世界遺産を見ていきましょう。

ヴァルカモニカの岩絵群

登録:1979年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅵ)

ヴァルカモニカの岩絵群は、イタリア北部のアルプスの山麓にある文化遺産です。

ヴァルカモニカは、アルプスの山麓のオーリオ川沿いに約70 kmに続いている渓谷です。この渓谷の岩に、約1万年前に彫られたと推定されているものから、ローマ帝国時代のアルファベットの彫られた岩まで約8000年間に渡る線刻画が残っています。

彫られている線刻画の数は約14万点におよびます。テーマは、農耕、航海、戦争から紀元前1500年頃の集落の地図など多岐に渡り当時の生活を知る貴重な資料になっています。

ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂

登録:1980年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)

ローマ

ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂は、イタリアのローマおよびバチカンにあるで文化遺産です。

ローマ帝国の政治、商業と市民の生活の中心だったフォロ・ロマーノ、ローマ帝国時代、剣闘士同士や、剣闘士と猛獣の戦いが見世物として行われたコロッセオ、コンスタンティヌス帝が、312年ミルヴィオ橋の戦いで勝利したことを記念して作られたコンスタンティヌスの凱旋門などが登録されています。

レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院

登録:1980年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)

最後の晩餐

レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院は、イタリアのミラノにある文化遺産です。

最後の晩餐は、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの依頼で、レオナルド・ダ・ヴィンチがサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描いた巨大なテンペラ画です。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、ルネサンス様式でドミニコ会の修道士ソラーリやブラマンテにより建設されました。

フィレンツェ歴史地区

登録:1982年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)

フィレンツェ

フィレンツェ歴史地区は、イタリアの都市フィレンツェの中心部で文化遺産です。

フィレンツェの街は15~16世紀にかけてメディチ家庇護のもと、経済・文化的に繁栄し、ルネッサンスの中心地となりました。屋根のない博物館とも表されるほど、稀有な建築物や彫刻などの芸術作品が残っています。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、ヴェッキオ宮殿、ウフィツィ美術館などが登録されています。

ヴェネツィアとその潟

登録:1987年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅴ)、(ⅵ)

ヴェネツィア

ヴェネツィアとその潟は、イタリアのヴェネツィアにある文化遺産です。

東西貿易の中継地として繁栄し、「アドリア海の女王」といわれる都市にまで発展しました。街は100以上の島々が、およそ400の橋と150をこえる大小の運河で結ばれています。代表的なものはサン・マルコ広場、サン・マルコ大聖堂、リアルト橋など。

近年は、丸太の杭を潟に打ち付けてそれを建物の土台にする工法の最大の欠点(時間が経つにつれ沈下する事を免れない)と、地下水の汲み上げによる地盤沈下が大問題となっています。

文化遺産の登録基準をすべて満たしている数少ない世界遺産です。

ピサのドゥオモ広場

登録:2008年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅵ)

ピサ

ピサのドゥオモ広場は、イタリアのピサにある文化遺産です。

紀元前からローマ帝国の軍港だったピサは、11世紀半ばに西地中海の覇権を握り、13世紀末まで海運都市国家として栄えました。

ピサのはずれにあるドゥオモ広場に建つ、洗礼堂、大聖堂、鐘楼、墓所回廊の4つが印象的です。ピサの繁栄を象徴した建物群です。特に鐘楼はピサの斜塔として有名です。

サン・ジミニャーノ歴史地区

登録:1990年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅲ)、(ⅳ)

サン・ジミニャーノ

サン・ジミニャーノ歴史地区は、イタリアのコムーネ、サン・ジミニャーノにある中世の街並を残す地区で文化遺産です。

フランチジェーナ街道とピサーナ街道の合流地点に位置する流通の主要拠点であり、また、聖ジミニャーノの遺物「指と指輪」が安置された聖堂への巡礼者が多く訪れる街として繁栄しました。しかしその後、ペストの流行と内部での権力争いによって町が衰退。

サン・ジミニャーノは経済的な余裕もなく、寂れていたため戦争などに巻き込まれることもなく、塔も町並みも13世紀から14世紀の状態を良く残しています。

マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園

登録:1993年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅴ)

マテーラ

マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園は、イタリアのバジリカータ州の町マテーラにある文化遺産です。

渓谷の岩盤に、幾重にも層をなして密集するサッシと呼ばれる洞窟住居群で有名な街です。このサッシがいつ頃から作られたかは不明ですが、8世紀から13世紀にかけて、東方からイスラム勢力を逃れた修道僧が住み着き、130以上の洞窟住居を構えていたといわれています。

洞窟住居群のほかに、修道士が築いた岩窟教会も点在します。現在約130の岩窟教会があり、中でも1270年に建造された石造りのドゥオモが有名です。

ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオの様式の邸宅群

登録:1994年(文化遺産)、1996年拡張 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)

ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオの様式の邸宅群は、イタリアの都市ヴィチェンツァとヴェネト州一帯にある文化遺産です。

ヴィチェンツァは15~18世紀にヴェネツィア共和国統治下で繁栄し、偉大な建築家であるアンドレア・パッラーディオの街とも称されます。古典的ローマ様式をとりいれた建築物がもたらす景観は壮麗で、人々に感動を与えます。バジリカ、オリンピコ劇場、キエリカーテ宮殿など23の建物のほか、「ラ・トロンダ」などパッラーディオの建築した優雅な邸宅が点在します。

パッラーディオに影響を受けた「パラディアン様式」の建築スタイルは欧州各国や北米まで影響をもたらしました。

シエーナ歴史地区

登録:1995年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)

シエナ

シエーナ歴史地区は、イタリアの古都シエーナにある文化遺産です。

中世の町並みが残され、国際ゴシック、ルネサンス、バロックの芸術作品を見ることができます。13~14世紀にはヨーロッパの金融業の中心として栄えました。トスカーナ地方の覇権を巡り、隣国フィレンツェとの間に繰り返された激しい抗争の最中に、市民が団結して建てた大聖堂は今もシエナ市民の誇りです。

ナポリ歴史地区

登録:1995年(文化遺産)、1996年拡張 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

ナポリ

ナポリ歴史地区は、イタリアのナポリにある文化遺産です。

ナポリの起源は紀元前470年頃にギリシアの植民都市として建設されたことにさかのぼります。ナポリの語源はギリシャ語のネアポリス(新しい町)で、世界三大美港の一つでもあります。18世紀以降はブルボン家による支配を受けましたが、1860年にイタリア王国へ併合され、その後は他の都市と比べて近代化が遅れ、衰退しました。

クレスピ・ダッダ

登録:1995年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅴ)

クレスピ・ダッダは、イタリアにある労働者のための町文化遺産です。

19世紀にクリストフォロ・ベニーニョ・クレスピにより労働者のための理想郷としてアッダ川とブレンボ川が合流する三角地帯に建設されました。

労働者の待遇改善を目指し、環境にこだわったクレスピは、労働者用住宅や学校、病院、教会などを整えました。村には、空気を汚さず、安定した電力を供給する、水力発電所もあります。これら、施設の一つ一つに経営者としての理念や労働者への配慮を感じ取ることができます。

フェラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯

登録:1995年(文化遺産)、1999年拡張 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅴ)、(ⅵ)

フェラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯は、イタリアにある都市で文化遺産です。

14世紀、この地を治めたエステ家によって整備され、ルネサンス期に文化の中心地の一つとして栄えました。街には、初期ルネッサンス様式であるテラコッタ装飾が施された優美な邸宅や宮殿が数多く残されています。エステ家の居城エステ城も一般に公開されています。

市街の北側にあるポー川流域には広大なデルタ地帯が広がり、湿地帯のほか、松林や塩田など自然豊かな景観が楽しめます。

カステル・デル・モンテ

登録:1996年(文化遺産)、1996年拡張 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)

カステル・デル・モンテ

カステル・デル・モンテは、イタリアの南部、プッリャ州アンドリアの郊外にある中世の城で文化遺産です。

13世紀にローマ皇帝フリードリヒ2世によって建築されました。黄金比を用いた八角形を象徴的に取り入れた設計になっています。

皇帝フリードリヒ2世は、イスラム文化への造詣も深く、カステル・デル・モンテはイスラムと北ヨーロッパ建築が見事に調和された特徴を持っています。

まとめ

イタリアの世界遺産を簡単にまとめてみました。数も多いし、見どころたくさんです。ぜひ行ってみたい。

早く自由に旅できる日がきてほしいですね!

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