こんにちはnemoです。
新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。
- 【世界遺産を巡る旅】イタリア
- ウルビーノ歴史地区
- パエストゥムとヴェーリアの考古遺跡群やパドゥーラのカルトゥジオ修道院を含むチレントおよびヴァッロ・ディ・ディアーノ国立公園
- ヴィッラ・アドリアーナ (ティヴォリ)
- ヴェローナ市街
- アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群
- ティヴォリのエステ家別荘
- ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々(シチリア島南東部)
- ピエモンテ州とロンバルディア州のサクリ・モンティ
- ヴァル・ドルチャ
- チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群
- シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡
- ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度
- マントヴァとサッビオネータ
- レーティッシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線と周辺の景観
- まとめ
【世界遺産を巡る旅】イタリア
75ヶ国目はイタリア。2021年8月現在、世界遺産55件(文化遺産50件、自然遺産5件)です。中国と並んで世界一。
イタリアで本場のピッツァやパスタを食べまくりたい。イタリア料理は美味しいですね。
それではイタリアの世界遺産を見ていきましょう。
ウルビーノ歴史地区
登録:1998年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)
ウルビーノ歴史地区は、イタリアのマルケ州北西部にある都市で文化遺産です。
山間部の小都市ですが、多くの文化遺産を擁する芸術の街として知られています。中世にはウルビーノ公国の首府であり、ルネサンス期にモンテフェルトロ家の下で最盛期を迎えました。ラファエロはこの都市の出身です。16世紀以降文化・経済は衰退しましたが、丘上のこの小さな街は今もルネッサンス的美しい面影を残しています。
パエストゥムとヴェーリアの考古遺跡群やパドゥーラのカルトゥジオ修道院を含むチレントおよびヴァッロ・ディ・ディアーノ国立公園
登録:1996年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)
パエストゥムとヴェーリアの考古遺跡群やパドゥーラのカルトゥジオ修道院を含むチレントおよびヴァッロ・ディ・ディアーノ国立公園は、イタリアのにある古代ギリシア、古代ローマ遺跡、修道院で文化遺産です。
パエストゥムは、イタリア半島南部の古代ギリシア・ローマ時代の都市遺跡です。パエストゥムは神殿が有名で、ギリシアのアテネにある神殿、シチリア島にある神殿、そしてイタリアのパエストゥムの神殿が世界の三大神殿と言われています。
ヴェーリアの考古遺跡群は、紀元前4世紀から紀元前3世紀頃に栄えたエレアの街の跡です。
パドゥーラのカルトゥジオ修道院は、トンマーゾ・サン・セヴェリーノにより1306年に既存の修道院の敷地に聖ラウレンティウスに捧げられ創設されました。その構造はこの聖者が生きたまま火あぶりにされたイメージを引用していると言われています。
チレントおよびヴァッロ・ディ・ディアーノ国立公園は、マグナ・グラエキア時代や中世に重要な地域として機能してきた歴史をとどめる優れた文化的景観が評価されています。
ヴィッラ・アドリアーナ (ティヴォリ)
登録:1999年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)
ヴィッラ・アドリアーナ (ティヴォリ)は、イタリアのティヴォリにある遺跡で文化遺産です。
ティヴォリは古代ローマ時代から上層階級の保養地でした。ハドリアヌス帝は、118年よりティヴォリの麓で広大な別荘(ヴィッラ・アドリアーナ)の建設に着手し、完成したのは133年でした。皇帝が訪れた帝国領土内の各所を偲ばせる建物や神殿、大浴場など、エジプト、ギリシャ、ローマ的諸要素をもった建物群が見事に調和しています。
ヴェローナ市街
登録:2000年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)
ヴェローナ市街は、イタリアにある都市で文化遺産です。
古くからミラノ、ヴェネツィア、ローマの各方面への道の交差する場所で古くから交通の要衝の地として栄えてきました。シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』や『ヴェローナの二紳士』の舞台になったことでも有名です。
著名な建造物としては、紀元前1世紀初めに作られたと考えられている円形闘技場があり、舞台や座席も残り、イタリア国内で最も保存状態が良い円形闘技場と言われています。他にも、エルベ広場、シニョーリ広場、ランベルティの塔、ジュリエットの家などがあります。
アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群
登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)
アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群は、イタリアのアッシジにある文化遺産です。
アッシジは、イタリア中部のスバジオ山の斜面に広がる人口2万人強の小さな町ですが、フランシスコ会の創立者アッシジのフランチェスコが生まれたことで有名で、カトリック教会の巡礼地として人気があります。また、町の建物は、ここで掘り出される薄いピンク色をした石材からつくられ、町を彩っています。
ティヴォリのエステ家別荘
登録:2001年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)
ティヴォリのエステ家別荘は、イタリアのティヴォリにあるエステ家による別邸で文化遺産です。
4.5haという広大な敷地の庭園内には、オルガンの噴水、エフェソスのアルテミス、百噴水など使われているモチーフがギリシャ・ローマ時代の噴水500ほど、築かれています。後期ルネッサンス期の代表的な庭園であり、イタリア一美しい噴水庭園として称えられ、現在に伝わっています。
ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々(シチリア島南東部)
登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅴ)
ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々(シチリア島南東部)は、イタリアのシチリア島の東南部にある文化遺産です。
シチリア島の東南部にある8つの町、カルタジローネ、ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニア、カターニア、モディカ、ノート、パラッツォーロ・アクレイデ、ラグーザ、シクリの街並みが登録されています。
これらの町は中世前半に形成され、城や教会を中心に発展しました。しかし、1693年1月9日および1月11日に発生した地震(ヴァル・ディ・ノート大地震)では約9万3千人の死傷者を出し、これらの町は壊滅的な打撃を受けました。地震の後、地元の貴族らの働きにより後期バロック様式で統一された建物が築かれ、町は再建されました。
ピエモンテ州とロンバルディア州のサクリ・モンティ
登録:2003年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)
ピエモンテ州とロンバルディア州のサクリ・モンティは、イタリアのピエモンテ州とロンバルディア州にある文化遺産です。
サクリ・モンティ(聖なる山の意味)の造営は、15世紀から16世紀にかけて、エルサレムやパレスチナへの聖地巡礼の代替として始まったといわれています。当時、エルサレムはイスラム勢力下にあり巡礼はほぼ困難でした。1480年頃にバルセシアのヴァラッロを見下ろす丘の上に最初の聖山が造営されました。参拝地として神聖な雰囲気をもっているだけでなく、丘、森、湖といった自然環境と建築物群が美しく調和しています。
ヴァル・ドルチャ
登録:2004年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅵ)
ヴァル・ドルチャは、イタリアの、トスカーナ州シエナ県にある広い谷ないし渓谷で文化遺産です。
この一帯は14〜15世紀にはシエナの領土となり、絵のような美しい景観づくりが大切にされてきました。のどかな美しい牧歌的自然が農家や集落、街道や沿道の修道院や宿などとも融合した景観となっています。渓谷を横断する道は中世にローマやエルサレムへの主要な巡礼路として使われ、多くの巡礼者や商人たちが行き交いました。
チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群
登録:2004年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅲ)、(ⅳ)
チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群は、イタリア中部ラツィオ州にある、エトルリア人が残した2ヶ所のネクロポリスで文化遺産です。
バンディタッチャのネクロポリスは、総面積は400haで、1200もの墓があり、その多くが小丘を覆っています。この遺跡は地中海エリア最大のネクロポリスとなっており、墓の作成された年代は紀元前9世紀のヴィッラノヴァ文化期から、紀元前3世紀の後期エトルリア時代にわたっています。
モンテロッツィのネクロポリスはタルクイーニア近郊にあり、6000以上の墓が発見されています。バンディタッチャ同様、フレスコ画の描かれた墓なども含まれています。
シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡
登録:2005年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)
シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡は、イタリアのシチリア島の巨大なネクロポリスでで文化遺産です。
シラクサは紀元前734年頃、ギリシアのコリントスの植民者たちがこの場所を発見し、肥沃な土地に地中海においてギリシア植民市のうちで最も繁栄する都市国家となりました。
パンターリカには広い地域に渡ってネクロポリスが散在しており、フィリポルトのネクロポリス、ノルド=オヴェストのネクロポリス、カヴェッタのネクロポリスなど複数の時代にまたがる古代ギリシャ遺跡の名残となっています。
ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度
登録:2006年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)
ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度は、イタリアのジェノヴァにある文化遺産です。
ジェノヴァには、「新しい街路群」を意味する16世紀に整備されたストラーデ・ヌオーヴェと、それ以降の時代に出来た二つの街路があります。ジェノヴァの大通りの一つであるガリバルディ通りには「パラッツィ・デイ・ロッリ」、かつてのジェノヴァ共和国時代の迎賓館目録に掲載されていた数多くの宮殿が今も残されています。
マントヴァとサッビオネータ
登録:2008年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)
マントヴァとサッビオネータは、イタリアのマントヴァ県に位置する2つの都市で文化遺産です。
これらはルネサンス期の優れた都市計画を伝え、他の諸都市にも大きな影響を与えたものとして評価されています。
マントヴァの歴史は紀元前6世紀ないし5世紀のエトルリア人都市にさかのぼるとされています。ゴンザーガ家のフェデリーコ2世は建築家でもあったジュリオ・ロマーノを招き、マントヴァのいくつかの建物をルネサンス様式で新築したり改築したりさせました。
サッビオネータはヴェスパシアーノ・ゴンザーガ(1531年 – 1591年)によって16世紀に建設された都市で、ヴェスパシアーノの理念が投影された計画都市です。六芒星のような形状の城壁に囲まれた区画に市庁舎や宮殿などが建ち並んでいます。「小アテネ」という異名を持っています。
レーティッシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線と周辺の景観
登録:2008年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)
レーティッシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線と周辺の景観は、スイスとイタリアが共有する文化遺産です。
スイスのグラウビュンデン州からイタリアのロンバルディア州ソンドリオ県にかけてを走るレーティッシュ鉄道のアルブラ線とベルニナ線は、登山鉄道で広く見られるラック式を採用していない粘着式鉄道としてはヨーロッパ最高地点を通る鉄道であり、20世紀初頭における技術的到達の優れた例証とされています。
まとめ
イタリアの世界遺産を簡単にまとめてみました。数も多いし、見どころたくさんです。ぜひ行ってみたい。
早く自由に旅できる日がきてほしいですね!
コメント