【世界遺産を巡る旅】ブラジル前編

ブラジル

こんにちはnemoです。

新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。

【世界遺産を巡る旅】ブラジル

122ヶ国目はブラジル。2021年8月現在、世界遺産23件(文化遺産15件、自然遺産7件、複合遺産1件)です。

ブラジルといえばサッカー、アマゾンなどなど見どころたくさん。ついに南米に突入です。

それではブラジルの世界遺産を見ていきましょう。

オウロ・プレット歴史地区

登録:1980年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅲ)

オウロ・プレット

オウロ・プレット歴史地区は、ブラジルにある歴史的都市で文化遺産です。

オウロ・プレットは17世紀より起こったゴールドラッシュで建設された金鉱採掘のための植民都市のひとつで、その中心都市として、18世紀に栄えました。都市は現代の生活に必要なわずかな変化はあるものの、全体として植民都市の名残をほぼ完全にとどめています。

この都市出身であり、ブラジルのミケランジェロと称えられる彫刻家アレイジャジーニョの手になる教会建築、ゴールドラッシュで財を成した人々の寄進によるバロック様式の教会の数々、この地に数多く残るそうした建築物は、この地を観光都市として今にあらしめています。

オリンダ歴史地区

登録:1982年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

オリンダ

オリンダ歴史地区は、ブラジルにある都市でで文化遺産です。

最初にオリンダに到達したとされるヨーロッパ人はフランスの商人だとされていますが、後にフランスのライバルであるポルトガルが1537年に都市の建設を開始しました。砂糖産業を中心にオリンダは繁栄したが、レシフェを建設したオランダによって、一旦は破壊されました。

1654年ごろ、ポルトガルの手により、再度オランダからオリンダが奪取されると、オリンダの町はポルトガル風の建築物が建設されるようになり、蘇りました。そのような最も保存状態のよいコロニアル風の建築物が残されています。

グアラニーのイエズス会伝道所群

登録:1983年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)

グアラニーのイエズス会伝道所群は、ブラジルとアルゼンチンにまたがる文化遺産です。

17世紀初頭にグアラニー族への伝道を開始したイエズス会は、グアラニーのキリスト教化を進めるための拠点として、いくつもの伝道所(伝道用の集落)を築きました。これは、同時に平和な理想郷の形成も企図したものであって、プランテーションなどでの強制労働や奴隷狩りから逃れた先住民たちも匿ったりしました。

グアラニー族が住む現ブラジル南部、アルゼンチン北部、パラグアイ南部などには、いくつもの伝道所が築かれ、共同体での生活が営まれていました。しかし、1767年にスペイン王カルロス3世が発した、アメリカ大陸からのイエズス会追放令によって、伝道所の共同体生活は崩壊しました。

ブラジルではサン・ミゲル・ダス・ミソンイス遺跡が登録されています。

サルヴァドール・デ・バイーア歴史地区

登録:1985年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅵ)

サルヴァドール

サルヴァドール・デ・バイーア歴史地区は、ブラジル北東部の大西洋岸にある港湾都市で文化遺産です。

ポルトガルの植民地時代16世紀後半から2世紀に渡りブラジルの首都でした。砂糖や金の交易で栄えた植民地時代の名残として当時の邸宅や、教会などが街中に数多く残っています。町が栄えた歴史的背景には労働力としてつれてこられた奴隷貿易の中心地としてのなごりもあります。

ボン・ジェズス・ド・コンゴーニャスの聖域

登録:1985年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅳ)

ボン・ジェズス・デ・マトジーニョス聖堂

ボン・ジェズス・ド・コンゴーニャスの聖域は、ブラジルにある歴史的な町で文化遺産です。

この町は、ボン・ジェズス・デ・マトジーニョス聖堂というバシリカ式教会堂と、それに関連する彫刻群で知られています。この聖堂は18世紀のポルトガル人の金鉱採掘師フェリシアーノ・メンデスの依頼で建てられたものです。

この聖堂の特筆すべき主要な彫刻群は、「ブラジルのミケランジェロ」の異名を取った世界屈指のバロック様式の芸術家アレイジャディーニョの手によるもの。聖堂のファサード前の石段には、石鹸石に彫られた旧約聖書の預言者たちの像が12体並んでおり、これはアレイジャディーニョの最高傑作の一つに数えられています。

ブラジリア

登録:1987年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅳ)

ブラジリア

ブラジリアは、ブラジルの首都で文化遺産です。

インドのチャンディーガルと並び、モダニズムの理念に基づいて計画的に建設された都市です。ブラジル人建築家ルシオ・コスタの設計により建設された計画都市地域は、人造湖であるパラノア湖のほとりに飛行機が翼を広げた形をしており、飛行機の機首の部分に国会議事堂や行政庁舎、最高裁判所が並び、翼の部分には高層住宅や各国の大使館があります。

国会議事堂や大聖堂などの主要建造物は、いずれもモダニズムの流れを受けた未来的なデザインで作られています。これらの公共建築の主任建築家は、ニューヨーク市の国際連合本部ビルの設計も担当したブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤーです。歴史的で伝統的な街並みを持つ都市が世界遺産に登録されることは多いですが、建設から40年未満という近代的な都市が登録されたのは、当時としては異例のことでした。

セラ・ダ・カピバラ国立公園

登録:1991年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)

セラ・ダ・カピバラ国立公園は、ブラジルにある国立公園で文化遺産です。

この国立公園は世界屈指の考古学遺産を保護するために創設されたもので、時には100メートル以上の高さにもなる絶壁に刻まれた、古いものでは6万年前にも遡る3万点もの線刻岩絵群が残されています。他に洞窟壁画も残っています。

これらの旧石器時代の芸術は、現代の我々に対し、アメリカ先住民の日常生活に関する傑出した証言を明かしてくれているのです。その例としては、儀礼、舞踊、狩猟などのほか、グリプトドンや巨大アルマジロのような、最後の氷期以前に絶滅した動物などが描かれています。壁画には、世界で最古の船も描かれています。

サン・ルイス歴史地区

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅴ)

サン・ルイス歴史地区は、ブラジルにある歴史的な町で文化遺産です。

サン・ルイスにはラテン・アメリカで、最も大きく最良の状態で保存された植民地時代のポルトガル風建築が残っています。最初にヨーロッパからやってきたのは、1612年に新植民地建設のためやってきたフランス人でした。彼らはサン・ルイという名の砦を築きました。1615年にポルトガルの命を受けたジェロニモ・デ・アルブケルケがこの町を侵略しました。

ディアマンティーナ歴史地区

登録:1999年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

ディアマンティーナ歴史地区は、ブラジルにある町で文化遺産です。

ディアマンティーナは、18世紀のポルトガルにおける植民地時代に建設された都市であり、名前から察することができるように、かつては、ダイヤモンドの採掘で繁栄した町です。町の名前もダイヤモンドに由来しています。

ブラジルにおけるバロック建築の保存状態が良く、世界遺産にされました。

ゴイアス歴史地区

登録:1985年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅵ)

ゴイアス

ゴイアス歴史地区は、ブラジルにある都市で文化遺産です。

ゴイアスが都市として建設されたのは、1727年です。名前は、近くに住んでいた先住民の民族名に由来しています。18世紀前半に金鉱脈が発見され、ゴールドラッシュを経験します。

ゴイアスに残る住宅や教会、博物館などは、当時の面影を残しています。しかしながら、1770年ごろには、鉱脈が枯渇し始め、町も衰退の一途をたどりました。

サン・クリストヴァンの町のサン・フランシスコ広場

登録:2010年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

サン・クリストヴァンの町のサン・フランシスコ広場は、ブラジルにある町と広場で文化遺産です。

サン・クリストヴァンの建設は16世紀末のことで、スペインとポルトガルで同君統治が行なわれていた時代のことでした。スペインの支配下にあった土地がコロニアル様式で都市計画を新たに始めることに発し、スペイン的な規則正しさが残る町並みになっています。

サン・ フランシスコ広場は、その町の山の手に残る長方形の広場です。

リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群

登録:2012年(文化遺産) 登録基準:(ⅴ)、(ⅵ)

リオデジャネイロ

リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群は、ブラジルにある都市で文化遺産です。

街並みを対象とする世界遺産ではなく、コルコバードの丘やコパカバーナ海岸など、都市周辺の人の手が加わって発達してきた文化的景観がまとめて対象となっています。リオのカーニバル、コパカバーナ海岸、キリスト像が立っているコルコバートの丘などが有名なリオデジャネイロでの都市開発と自然が合わさってできた世界遺産です。

まとめ

ブラジルの世界遺産を簡単にまとめてみました。いろいろあっていい感じです。

早く自由に旅できる日がきてほしいですね!

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