こんにちはnemoです。
新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。
【世界遺産を巡る旅】シリア
36ヶ国目はシリア。2021年6月現在、世界遺産6件(文化遺産6件)です。
シリアはなかなか行ける機会はなさそうですが、いつかは行きたいなと思ってます。もう少し安定してくれたらいいのにな。いろいろ見所はありそう。
それではシリアの世界遺産を見ていきましょう。
古代都市ダマスカス
登録:2012年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)
古代都市ダマスカスは、シリアの首都ダマスカスの旧市街で文化遺産です。
エジプト、メソポタミア、地中海地域を結ぶ交通の要衝の地として、紀元前3000年ごろから形成された都市。中東でも最古の都市の1つです。
世界最古のモスクといわれ、イスラム教の4大聖地の1つである、ウマイヤド・モスクも旧市街地にあります。旧市街地は、狭い入り組んだ道になっていますが、東西に走る真っ直ぐな道(Straight Street)は、新約聖書にも登場しています。
シリア内戦による被害のため、シリア国内の他の5つの世界遺産とともに危機遺産に登録されました。
古代都市ボスラ
登録:1980年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅲ)、(ⅵ)
古代都市ボスラは、シリアの南部の町で文化遺産です。
この遺跡からは、ローマ帝国のトラヤヌス帝時代に造られたローマ劇場、浴場、列柱付き大通りなど、紀元前から12世紀頃までのローマ帝国、東ローマ(ビザンチン)帝国、そしてイスラムの時代の遺構が数多く残されています。これらの建造物は玄武岩で造られているために、遺跡全体が黒色をしているのが大きな特徴です。
シリア内戦による被害のため、シリア国内の他の5つの世界遺産とともに危機遺産に登録されました。
パルミラ遺跡
登録:1980年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)
パルミラ遺跡は、、シリア中央部のホムス県タドモルにあるローマ帝国支配時の都市遺跡で文化遺産です。
紀元前1世紀から3世紀までは、シルクロードの中継都市として発展しました。その後ローマ建築が立ち並び、アラブ人の市民は、東のペルシャ(パルティア)式と西のギリシャ・ローマ式の習慣や服装を同時に受容していきました。
21世紀初頭までローマ様式の建造物が多数残っており、ローマ式の円形劇場や、浴場、四面門が代表的でありましたが、シリア内戦で破壊を受けました。世界で最も美しい廃墟の一つと言われています。
シリア内戦による被害のため、シリア国内の他の5つの世界遺産とともに危機遺産に登録されました。
古代都市アレッポ
登録:1984年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)
古代都市アレッポは、シリアの北部にある都市で文化遺産です。
世界最古の都市の一つで、肥沃な大地に恵まれ、紀元前2000年前後から地中海とメソポタミアを結ぶ交易中継地、軍事的要衡として栄えてきました。この街を象徴するアレッポ城や、世界最大の市場の1つともいわれるスークもあります。
シリア内戦による被害のため、シリア国内の他の5つの世界遺産とともに危機遺産に登録されました。
クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン
登録:2006年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)
クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーンは、シリアに築かれた十字軍時代の代表的な城、シリアの北西部にある中世の城で文化遺産です。
クラック・デ・シュヴァリエは、十字軍時代の代表的な城で、「騎士の砦」を意味しています。12~13世紀に聖ヨハネ騎士団が強化・拡張し、本拠地としました。当時の築城技術の粋を集めたものです。十字軍時代は聖ヨハネ騎士団の本拠でした。
カラット・サラーフ・アッディーンは、十字軍時代の代表的な城で、紀元前10世紀ごろ砦がつくられていたと言われており、現在の城塞は10世紀の建造です。アイユーブ朝を興したサラディンが12世紀に陥落させたことから「サラディンの要塞」を意味する現在名で呼ばれるようになりました。
シリア内戦による被害のため、シリア国内の他の5つの世界遺産とともに危機遺産に登録されました。
シリア北部の古代村落群
登録:2011年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅴ)
シリア北部の古代村落群は、シリアの北西部にある打ち捨てられた村落群で文化遺産です。
この村落群はシリア北西部のアレッポからイドリブにまたがる地域に拡がっており、打ち捨てられた村はおよそ40に上ると言われています。
1世紀から7世紀に農業が営まれ、8世紀から10世紀の間に放棄されましたが、現在でも当時の住居や浴場、多神教の寺院、教会、貯水槽などの建造物や景観が状態良く保存されています。
シリア内戦による被害のため、シリア国内の他の5つの世界遺産とともに危機遺産に登録されました。
【世界遺産を巡る旅】トルコ前編
37ヶ国目はトルコ。2021年5月現在、世界遺産18件(文化遺産16件、複合遺産2件)です。
トルコは行ったことがあり、その時もいくつか世界遺産を見て周りました。でも数も多いので、まだまだ知らないものもたくさんありますね。
それではトルコの世界遺産を見ていきましょう。
イスタンブール歴史地域
登録:1985年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)
イスタンブール歴史地域は、トルコ最大の都市イスタンブールの旧市街で文化遺産です。
ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国と、3つの帝国の首都として繁栄した歴史が色濃く残っており、遺跡公園地区、スレイマニエ・モスクと付属保護地区、ゼイレク・モスク(旧パントクラトール教会)と付属保護地区、イスタンブル大城壁地区の4つの保護地区から成り立っています。
ディヴリーイの大モスクと病院
登録:1985年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅳ)
ディヴリーイの大モスクと病院は、トルコのスィヴァス県にある文化遺産です。
大モスク(ウル・ジャミィ)は、1228年から1229年にかけて、メンギュジェク朝のアフメッド・シャーの手によって建設されました。建築家はアフラト出身のヒュッレムシャーで、碑文にはルーム・セルジューク朝のカイクバード1世を称える文章が記されています。
付属する病院(ダリュシュシファ)は、エルズィンジャンの支配者ファフレッディン・ベフラム・シャーの娘トゥラン・メレク・スルタンの発願により建設されました。
ヒッタイトの首都ハットゥシャ
登録:1986年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)
ヒッタイトの首都ハットゥシャは、トルコのボアズカレ近郊の丘陵地帯にある遺跡で文化遺産です。
紀元前17世紀 – 紀元前13世紀に繁栄した、武力に優れ、鉄製の武器と軽戦車を駆使して、時の最大勢力バビロニア王国やエジプト王国を脅かしたヒッタイト王国の首都でした。険しい地勢と堅固な二重の城壁で囲まれた要塞都市でした。
ネムルト・ダウ
登録:1987年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅲ)、(ⅳ)
ネムルト・ダウは、トルコ東部の山で文化遺産です。
ネムルト・ダウの山頂には、コンマゲネ王国の王アンティオコス1世が紀元前62年に建てた、王自身の座像を含む8-9mの巨大像が並ぶ巨大墳墓があるとされていまが、現在でも埋葬施設が発見されていません。
王の座像のほか、2羽の鷲、2頭のライオン、様々なギリシャ神話やペルシャ神話の神々の像などが並んでいます。
クサントス-レトーン
登録:1986年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)
クサントス-レトーンは、トルコ南部にある古代リュキアの都市、聖域で文化遺産です。
「海の民」ともいわれるリュキア人の独自の文化が反映された遺跡が残っています。クサントスは、リュキアの文化と商業の中心地であり、のちに、ペルシャ、マケドニア、ギリシャ、ローマがこの土地を征服、占領しました。
レトーン遺跡の始まりは、紀元前6世紀であるとされています。レトーンで発見された遺物の多くが、古代ギリシア語、リュキア語、アラム語で書かれており、このことがリュキア語の解読に大いに寄与しています。
サフランボル市街
登録:1994年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅴ)
サフランボル市街は、トルコのカラビュック県にある都市で文化遺産です。
サフランボルの名前の由来は、香料サフランの集積地として発展した歴史にあります。黒海と地中海を結ぶ交易の要塞として、オスマン帝国時代に発展した街で、トルコ風木造家屋が今も多く残っています。現存する建築物群であるモスク、浴場、スレイマン・パシャのマドラサは、1322年に建設されました。
まとめ
シリア、トルコの世界遺産を簡単にまとめてみました。いつか行ってみたいと思えるものばかりでした。
早く自由に旅できる日がきてほしいですね!
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