【世界遺産を巡る旅】パキスタン、アフガニスタン

アフガニスタン

こんにちはnemoです。

新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。

【世界遺産を巡る旅】パキスタン、アフガニスタン

18ヶ国目はパキスタン。2021年5月現在、世界遺産6件(文化遺産6件)です。

パキスタンに行ったときは9・11のあった時で、フンザでのんびりしてたものの、国境閉まるとか戦争がはじまるとか、いろいろと騒がれていたのを思い出します。結局宿のみんなでインドに避難しようってなったけど、もっとゆっくり見て周りたかったなと思います。

それではパキスタンの世界遺産を見ていきましょう。

モヘンジョダロの考古遺跡

登録:1980年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)

モヘンジョダロの考古遺跡は、パキスタンにあるインダス文明最大級の都市遺跡で文化遺産です。

モヘンジョ=ダーロは現地の言葉で「死の丘」を意味し、歴史学者が足を踏み入れるまでは、非常に古い時代の死者が眠る墳丘として、地元民は恐れて近よらない禁忌の領域でした。

紀元前2500年から紀元前1800年にかけ繁栄し、最大で4万人近くが居住していたと推測され、その後は短期間で衰退しました。原因としてさまざまな説がありますが、近年の研究では大規模な洪水で衰退したと考えられています。

タキシラ

登録:1980年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅵ)

タキシラは、パキスタンのパンジャーブ州にあるガンダーラ時代に始まる遺構で文化遺産です。

紀元前6世紀まで遡ることが可能であり、六派哲学の一つであるヴェーダーンタ学派、また、インドの仏教の中心の役割を果たしてきました。異なる時代の3つの都市遺跡と、ガンダーラ仏などの多数の仏教伽藍遺跡からなります。

各地を結ぶ交易路の交差地点だったので、ヒンドゥー教や仏教の重要な場所であり、政治・経済においても重要な都市でした。

タフテ・バヒーの仏教遺跡群とサハリ・バハロールの近隣都市遺跡群

登録:1980年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)

タフテ・バヒーの仏教遺跡群とサハリ・バハロールの近隣都市遺跡群は、パキスタン北西部のカイバル・パクトゥンクワ州にある遺跡で文化遺産です。

1世紀から7世紀のガンダーラにおける僧院や都市建築の様子を伝える遺跡群です。

タフテ・バヒーは、マルダン地区に残る仏教遺跡で、クシャーナ朝のカニシカ王により、2世紀半ばに建造されました。その後も密教の中心地として7世紀まで存続しました。

サハリ・バハロールは、丘に築かれた都市の遺跡で、僧侶たちの住居や食料庫、さらには巡礼者たちの宿を提供する機能を含み、タフテ・バヒーの寺院を支える役割を果たしていたと考えられています。

ラホールの城塞とシャーラマール庭園

登録:1981年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)

城塞
庭園

ラホールの城塞とシャーラマール庭園は、パキスタンのパンジャーブ州ラホールにある歴史的建造物で文化遺産です。

ラホール城はムガール帝国の第3代皇帝アクバルにはじまり、第6代皇帝のアウラングゼーブまでの歴代の王たちによって手を加え続けられたお城で、ムガル帝国の歴史と繁栄を知る貴重な資料ともなっています。

シャーラマール庭園は、第5代皇帝シャー・ジャハーンが1642年、ラホール郊外に造営した長方形の美しいペルシャ式泉水庭園です。道路の拡張工事が行われたため、給水施設が破壊されたことなどから、2012年まで危機遺産に登録されました。

タッターの文化財

登録:1981年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)

タッターの文化財は、パキスタン・シンド州にある歴史的な都市で文化遺産です。

14世紀以来、タッターは、低シンド地域の首府として機能し、1592年には、ムガル帝国の支配下に入りました。1739年に、ナーディル・シャーがイランよりインドへ侵攻するとタッターは陥落すると同時に放棄されました。

タッターの文化財は、1647年から1649年にかけて、シャー・ジャハーンの手によって建設され、釉薬が掛かったタイルを特色とします。また、1461年から1509年にかけてタッターを統治したジャーム・ニザームッディーンやムガル帝国の役人の墓もタッターにはあり、数千の墓を持つ広大な共同墓地がマクリーの丘の近くに見つかっています。

ロータス・フォート

登録:1991年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅵ)

ロータス・フォートは、パキスタンのジェーラム市にある要塞で文化遺産です。

シェール・シャーによって建設され、周囲は約4㎞に達し、パシュトゥーン建築とヒンドゥー建築の両様式が絶妙に融合した最初期の事例です。

ロータス・フォートの大部分が、良い状態で保存されています。シャー・チャンドワーリー門の中央アーチ部分は、最近になって再建されたものであり、唯一、建築当時の姿で現存しているわけではありません。

【世界遺産を巡る旅】アフガニスタン

19ヶ国目はアフガニスタン。2021年5月現在、世界遺産2件(文化遺産2件)です。

アフガニスタンは一度は行ってみたいと思うものの、なかなか行ける国ではありません。もう少し落ち着いたら行けるようになるのかなと期待しています。

それではアフガニスタンの世界遺産を見ていきましょう。

ジャームのミナレットと考古遺跡群

登録:2002年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)

ジャームのミナレットと考古遺跡群は、アフガニスタンのゴール州にあるミナレットで文化遺産です。

ゴール朝のスルターン、ギヤースッディーン・ムハンマドが築いたとされています。八角形の土台の上に60mの高さを持ち、褐色の煉瓦と、青色のタイル装飾、ブハラで発展を遂げた幾何学模様、クーフィー体アラビア文字の刻印などが特徴です。

このミナレットはゴール朝の最盛期であり、滅亡寸前でもあった12世紀末頃に建てられており、ゴール朝における建築技術の最高峰とも言われています。

2002年には危機遺産にも登録されています。

バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

登録:2003年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)

バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群は、アフガニスタンの山岳地帯に位置する渓谷で文化遺産です。

古代から存続する都市バーミヤーンの近郊には、1世紀からバクトリアによって石窟仏教寺院が開削され始め、石窟の数は1000以上にものぼり、グレコ・バクトリア様式の流れを汲む仏教美術の優れた遺産です。

5世紀から6世紀頃には高さ55m(西大仏)と38m(東大仏)の2体の大仏をはじめとする多くの巨大な仏像が彫られ、石窟内にはグプタ朝のインド美術やサーサーン朝のペルシア美術の影響を受けた壁画が描かれました。バーミヤーンの仏教文化は繁栄をきわめ、630年に唐の仏僧玄奘がこの地を訪れたときにも依然として大仏は美しく装飾されて金色に光り輝き、僧院には数千人の僧が居住していたと言われています。

タリバーンによる大仏の破壊もあり、危機遺産に登録されています。

まとめ

パキスタン、アフガニスタンの世界遺産を簡単にまとめてみました。行くのはなかなか難しいですが、妄想はできるので今はこれで満足しましょう。

早く自由に旅できる日がきてほしいですね!

コメント