こんにちはnemoです。
新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。
【世界遺産を巡る旅】リトアニア
60ヶ国目はリトアニア。2021年7月現在、世界遺産4件(文化遺産4件)です。
リトアニアも見所あって結構良さそうですよね。バルト三国は全体的に興味あり。早く行きたいなと思う今日この頃。
それではリトアニアの世界遺産を見ていきましょう。
ヴィリニュス歴史地区
登録:1994年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)
ヴィリニュス歴史地区は、リトアニアの首都にある歴史地区で文化遺産です。
リトアニア大公国の首都であったヴィリニュスは、リトアニア人のみならず、他のリトアニア大公国内の民族の文化や宗教の影響の下、多文化都市として発展しました。街にはゴシック様式やルネサンス様式、バロック様式及び古典様式の建築物が残り、多様性に富む街並みとなっています。
クルシュー砂州
登録:2000年(文化遺産) 登録基準:(ⅴ)
クルシュー砂州は、バルト海とクルシュー潟を隔てる全長98㎞の細長く湾曲した砂州で文化遺産です。
全長98kmのうち、北の52kmがリトアニア領に属し、残りがロシアの飛地であるカリーニングラード州に属しています。バルト海の神話に拠れば、クルシュー砂州は海岸で戯れていた屈強な少女ネリンガによって形成されたとされています。
16世紀には森林破壊により砂州が砂丘で覆われ、村々を呑み込んました。こうした事態に危機感を募らせたプロイセン当局は、1825年に大規模な森林再生や緑化活動の支援を開始しました。このおかげで、今に至るも砂州の大半は森林に覆われています。
ケルナヴェの考古遺跡(ケルナヴェ文化保護区)
登録:2004年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)
ケルナヴェの考古遺跡(ケルナヴェ文化保護区)は、中世のリトアニア大公国の首都で文化遺産です。
後期旧石器時代から中世にかけての集落です。14世紀末にケルナヴェの街はドイツ騎士団によって破壊、この地域の大部分は放棄され、新たな集落は北側に建てられた。このために先史時代や中世の物品がそのまま残されることとなりました。遺跡では、バルト地方におけるおよそ1万年間の人類の居住地の発達の様子が見られます。
シュトルーヴェの測地弧
登録:2005年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅵ)
シュトルーヴェの測地弧は、ロシアの天文学者、フリードリヒ・フォン・シュトルーヴェが中心となって、1816年から1855年に掛けて子午線弧長の三角測量のために設置された観測点群で文化遺産です。
これらの観測点群は、地球の大きさなどを正確に測る上で多大な貢献をしたものであり、当時設置された265か所の測量点のうち34か所が、世界遺産に登録されました。これは10ヶ国(ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・ロシア・エストニア・ラトビア・リトアニア・ベラルーシ・モルドバ・ウクライナ)にまたがる珍しいものです。
【世界遺産を巡る旅】ラトビア
61ヶ国目はラトビア。2021年7月現在、世界遺産2件(文化遺産2件)です。
ラトビアも見所あって結構良さそうですよね。バルト三国は全体的に興味あり。早く行きたいなと思う今日この頃。
それではラトビアの世界遺産を見ていきましょう。
リガ歴史地区
登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)
リガ歴史地区は、ラトビアのリガにある歴史地区で文化遺産です。
バルト海の真珠の異名を持つリガ。旧市街には、中世ドイツの商業都市の特徴が見られ、とりわけハンザ同盟時代の町並みがよく残されています。
ほぼ中心部にあるリガ大聖堂をはじめ、聖ヨハネ聖堂、聖ペテロ教会堂は13世紀に建てられました。リガ大聖堂は、その後18世紀まで増改築が繰り返されたため、ロマネスク、ゴシック、バロックなど、さまざまな建築様式が見られます。
シュトルーヴェの測地弧
登録:2005年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅵ)
シュトルーヴェの測地弧は、ロシアの天文学者、フリードリヒ・フォン・シュトルーヴェが中心となって、1816年から1855年に掛けて子午線弧長の三角測量のために設置された観測点群で文化遺産です。
これらの観測点群は、地球の大きさなどを正確に測る上で多大な貢献をしたものであり、当時設置された265か所の測量点のうち34か所が、世界遺産に登録されました。これは10ヶ国(ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・ロシア・エストニア・ラトビア・リトアニア・ベラルーシ・モルドバ・ウクライナ)にまたがる珍しいものです。
【世界遺産を巡る旅】エストニア
62ヶ国目はエストニア。2021年7月現在、世界遺産2件(文化遺産2件)です。
エストニアも見所あって結構良さそうですよね。バルト三国は全体的に興味あり。早く行きたいなと思う今日この頃。
それではエストニアの世界遺産を見ていきましょう。
タリン歴史地区
登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)
タリン歴史地区は、エストニアの首都タリンの旧市街に残る歴史的遺産で文化遺産です。
タリンの起源は、1219年にデンマーク王ヴァルデマー2世がエストニア人の要塞集落を占領し、そこにトームペアと名付けた城塞を築いたことに始まります。1346年にはデンマーク王ヴァルデマー4世が市をドイツ騎士団に売却したことから、以後20世紀に至るまで、経済的・文化的にバルト・ドイツ人の影響を強く受けることとなります。その後は1561年にスウェーデン領となり街は衰退、1710年にはロシア帝国領になりました。
このような度重なる混乱や火災にも関わらず、タリンには旧市街を取り囲む城壁と、ドイツ人商館や豪奢な公共建築、教会建築などの13〜18世紀の建造物が非常に良好な状態で残されています。
シュトルーヴェの測地弧
登録:2005年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅵ)
シュトルーヴェの測地弧は、ロシアの天文学者、フリードリヒ・フォン・シュトルーヴェが中心となって、1816年から1855年に掛けて子午線弧長の三角測量のために設置された観測点群で文化遺産です。
これらの観測点群は、地球の大きさなどを正確に測る上で多大な貢献をしたものであり、当時設置された265か所の測量点のうち34か所が、世界遺産に登録されました。これは10ヶ国(ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・ロシア・エストニア・ラトビア・リトアニア・ベラルーシ・モルドバ・ウクライナ)にまたがる珍しいものです。
まとめ
リトアニア、ラトビア、エストニアの世界遺産を簡単にまとめてみました。バルト三国は興味あり。いろいろ周ってみたいですね。
早く自由に旅できる日がきてほしいですね!
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