【世界遺産を巡る旅】ドイツ中編

ドイツ

こんにちはnemoです。

新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。

【世界遺産を巡る旅】ドイツ中編

66ヶ国目はドイツ。2021年7月現在、世界遺産46件(文化遺産43件、自然遺産3件)です。

ドイツは見所たくさんですね。ビールもうまい。サッカーも楽しい。いろいろ見て周りたいところ。

それではドイツの世界遺産を見ていきましょう。

ヴァイマル、デッサウ及びベルナウのバウハウスとその関連遺産群

登録:1996年(文化遺産)、2017年拡張 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅵ)

バウハウス

ヴァイマル、デッサウ及びベルナウのバウハウスとその関連遺産群は、ドイツのバウハウスにかかわる物件で文化遺産です。

バウハウスは、1919年に、ヴァルター・グロピウスの手によってヴァイマルに建設され、ドイツのモダニズム建築に重要な影響を及ぼしました。

バウハウスはヴァイマル、デッサウ、ベルリンの順に移転したが、最後のベルリンは末期のごく短い期間しか存在していませんでした。各都市にある建築がまとめられて11件が登録されています。

アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群

登録:1996年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅵ)

アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群は、ドイツのマルティン・ルターの足跡をたどる上で重要な建造物群で文化遺産です。

宗教改革は近世ヨーロッパ史上の重大事件の一つ。宗教革命の立役者であるマルティン・ルターが生まれ最期を迎えた土地であるアイスレーベンには、17世紀末に再建された「ルターの生家」や、1546年2月に没するまでの一か月を過ごした当時のまま保存された「ルター晩年の家」など、ルターの足跡をたどる上で貴重な建造物が残されています。

ヴィッテンベルクはいわゆる「95ヶ条の論題」が提示された町であり、宗教改革の発祥の地。

古典主義の都ヴァイマル

登録:1998年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅵ)

ヴァイマル

古典主義の都ヴァイマルは、ドイツのドイツ古典主義の中心地で文化遺産です。

ゲーテとシラーらを代表とする、18世紀末から19世紀初頭にかけて花開いたドイツ古典主義の中心地であり、当時を偲ばせる建築物や公園など、合計11件が対象とされています。

もともと農業王国の首都として栄えたヴァイマルは18世紀に当時の君主カールアウグストがゲーテを行政官として招いたことをきっかけに文化都市として発展し、後に加わったシラーらの力によって、音楽や芸術などの一大拠点として繁栄しました。

ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島)

登録:1999年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

ベルリン

ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島)は、ドイツのベルリンにある博物館島で文化遺産です。

南北に流れるシュプレー川の中州にて、ブランデンブルク門から東に伸びるウンター・デン・リンデン街を境とする北半分の地区を指しています。博物館・美術館が集まっている事より「博物館島」と呼ばれています。5つの博物館や美術館からなる世界遺産です。

ヴァルトブルク城

登録:1999年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅵ)

ヴァルトブルク城

ヴァルトブルク城は、ドイツのテューリンゲン州にある史跡で文化遺産です。

ドイツの文化史や精神史において重要な場所とされ、ドイツ人の心のふるさとと呼ばれています。ヴァルトブルク城は、1067年にテューリンゲン伯ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーの命で城塞として建設されたそうです。

その後幾度もの増築を重ね、現在の姿になりました。12世紀の後期ロマネスク様式をメインに建造されました。

デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国

登録:2000年(文化遺産)、2008年拡張 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

デッサウ

デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国は、ドイツにある最大級の英国式庭園で文化遺産です。

この庭園は、18世紀後半にアンハルト=デッサウ侯レオポルト3世・フリードリヒ・フランツによって創設されました。デッサウ・ヴェルリッツの景観は、古典古代から近代までの建築物を展示する、野外建築博物館ともいえるもの。

多数の並木道や堤防道によって結びつけられた個々の庭園は季節ごとに違った趣の美しさを見せ、多くの人が何度も足を運ぶ観光名所となっています。

僧院の島ライヒェナウ

登録:2000年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)

僧院の島ライヒェナウは、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州のコンスタンツ湖に浮かぶ島で文化遺産です。

島にはライヒェナウ修道院が建ち、修道院内の聖堂は、聖母マリアと聖マルコに捧げられたものです。ライヒェナウの有名な芸術作品には、10世紀から残るオットー朝ルネサンス期(ザクセン王朝の神聖ローマ帝国時代の様式)の『キリストの奇跡』の壁画が含まれています。

修道院の代官所は2階建ての石造りの建物で、2階より上の階は14世紀に半木造建築からなっています。これは南ドイツにおける半木造建築で古い物の一つです。

エッセンのツォルフェアアイン炭鉱業遺産群

登録:2001年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)

エッセンのツォルフェアアイン炭鉱業遺産群は、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州エッセンにある産業遺産で文化遺産です。

この施設群での炭鉱業は1847年に見られ始め、採炭は1851年から1986年12月23日まで行われました。1932年に開かれたバウハウス様式の第12採掘坑は、建築上からも技術上からも傑作と呼べるものであり、「世界で最も美しい炭鉱」との評価を受けています。

ヨーロッパ産業遺産の道のアンカーポイントにもなっています。

ライン渓谷中流上部

登録:2002年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅴ)

ライン渓谷中流上部は、ドイツのコブレンツとビンゲン・アム・ラインの間のライン川の65キロメートルの渓谷で文化遺産です。

先史時代より、ライン川は、中央における交易の重要な通路であり、ライン川の堤防に連なる形で、小さな集落が形成されてきました。時代が進むにつれ、多くの城塞が建設されるようになり、神聖ローマ帝国時代は、この地域は、帝国の中枢となりました。

三十年戦争中に、多くの城塞が廃墟になったものの、渓谷に沿ってのクルージングが現在では盛んな地域であり、今もなお、古城、古い町並みを残す都市群、聖堂、修道院といった中世以来の景観が残されています。

シュトラールズント歴史地区とヴィスマール歴史地区

登録:2002年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

シュトラールズント

シュトラールズント歴史地区とヴィスマール歴史地区は、ドイツの都市にある歴史地区で文化遺産です。

シュトラールズントとヴィスマールは、ともにハンザ都市として栄え、一時スウェーデン領となるなど、共通する歴史的経緯をたどってきました。

それらの旧市街には、かつての歴史的経緯や地勢を反映し、ゴシック様式のレンガ建築群をはじめとする美しい建造物群が並んでいます。これらの建造物群はその技術的発展などを伝えている。

ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像

登録:2004年(文化遺産)、2020年拡張 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)

ブレーメン

ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像は、ドイツのブレーメンにあるマルクト広場に面する市庁舎と、広場中央に立つローラント像で文化遺産です。

ブレーメン市庁舎には、自由ハンザ都市ブレーメンの参事会議長および市長が居ます。この庁舎はヨーロッパにおけるブリック・ゴシック建築の最も重要な例証の一つです。市庁舎は、旧市街のマルクト広場に立っており、真正面にはローラント像が立っています。

マルクト広場に立つローラント像は、中世文学『ローランの歌』に登場する英雄ローラントを象った巨大な立像です。

レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフ

登録:2006年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)

レーゲンスブルク

レーゲンスブルクの旧市街とシュタットアムホーフは、ドイツのドイツ南部バイエルン州の東部の中心都市にある歴史地区で文化遺産です。

古代ローマ時代にカストラ・レギーナとして成立したレーゲンスブルクは、ドナウ川とレーゲン川の合流点に位置する交通の要衝として、特に中世には一大交易地として栄えました。

ドイツに現存する最古の石橋であるシュタイナーネ橋やゴシック調ステンドグラスの美しいレーゲンスブルク大聖堂などの古代ローマ建築様式からロマネスクやゴシック様式までの、幅広い年代にわたるさまざまな様式の建造物が建造されました。

ベルリンのモダニズム集合住宅群

登録:2008年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

ベルリンのモダニズム集合住宅群は、ドイツのベルリンにあるモダニズム建築で文化遺産です。

ベルリンにある6つの集合住宅が対象です。それらの建築は1920年代後半から1930年代初頭、つまりヴァイマル共和国期のことです。

集合住宅は公的な要請に基づいて建てられたものであり、社会権を世界で初めて制定したヴァイマル憲法に見られるような、当時の低所得者層に関する生活環境改善が背景にありました。

実際の設計や建築に当たったのは、バウハウスの初代校長ヴァルター・グロピウスのほか、 ブルーノ・タウト、マルティン・ヴァグナー、ハンス・シャロウンといった当時の代表的な建築家たちであり、新しい建材やデザインによって衛生的で快適な住宅作りが進められました。

ムスカウ公園

登録:2004年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅳ)

ムスカウ公園は、ドイツとポーランドの間を流れるナイセ川にまたがるイギリス式庭園で文化遺産です。

この地を所有していたドイツのヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵は、その頃イギリスで流行していた風景式庭園の手法に基づいて1815年に造園に着手しました。彼は木や水流などの自然物を風景画のように配置する一方、それらと調和するような建物の建築・改築を行いました。

公園は周囲の景観と調和するように造られており、学問としてのランドスケープ建築の発展に大きな影響を与えました。公園はポーランドとドイツの国境に位置し、両国によって共同管理がなされています。

ローマ帝国の国境線

登録:1987年(文化遺産)、2005年、2008年拡張 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

ローマ帝国の国境線は、ドイツ、イギリスにあるローマ帝国の繁栄と衰退を残す文化的景観で文化遺産です。

まず1987年にハドリアヌスの長城が登録。次に2005年、ドイツのリーメスであるローマ帝国の長城跡などが拡大登録されました。2008年にはスコットランドのアントニヌスの長城も含まれることになり現在に至ります。

皇帝ハドリアヌスの命で造られたのが、ハドリアヌスの長城。イングランドとスコットランドの国境線近くにあります。ドイツのライン川からドナウ川まであるのがリーメス(リメス)。ラテン語で境界を意味し、主に長城、物見櫓、城砦の遺跡があります。アントニヌスの長城は、ハドリアヌスの長城の代わりとして建設されましたが建築物や規模が明らかに劣っています。

アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群

登録:2011年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅴ)

アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群は、紀元前5000年頃から前500年頃までにアルプス山脈周辺で建設された杭上住居の遺跡群で文化遺産です。

スイス(56件)、イタリア(19件)、ドイツ(18件)、フランス(11件)、オーストリア(5件)、スロベニア(2件)の6か国111件の資産によって構成されています。

杭上住居は高床式の住居の一種で、湖や湿地に杭を立て、その上に住居が築かれました。湖上に立てた当初の理由は、外敵に対する警戒や、農業に適した土地を住宅地に割かなくてすむようにするなどの理由であったと考えられています。

まとめ

ドイツの世界遺産を簡単にまとめてみました。数も多いし、見どころたくさんです。ぜひ行ってみたい。

早く自由に旅できる日がきてほしいですね!

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