こんにちはnemoです。
新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。
【世界遺産を巡る旅】ドミニカ共和国
138ヶ国目はドミニカ共和国。2021年10月現在、世界遺産1件(文化遺産1件)です。
ドミニカ共和国といえば野球。ドミニカ国と間違いやすいので注意。
それではドミニカ共和国の世界遺産を見ていきましょう。
サントドミンゴの植民都市
登録:1990年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅵ)
サントドミンゴの植民都市は、ドミニカ共和国にある新世界における最初の植民都市で文化遺産です。
1496年に、コロンブスによって建設された新世界最初の植民都市です。スペイン人たちは、ここにアメリカでの最初の拠点を設置し、その後アメリカ大陸本土を征服していきました。
スペイン人が、メキシコ、キューバ、ほか南アメリカ各地を手に入れていった後は、彼らの注意は大陸本土の方に一層向けられるようになりましたが、それでもサントドミンゴの植民都市は重要な歴史的都市であり続けました。
【世界遺産を巡る旅】ハイチ
139ヶ国目はハイチ。2021年10月現在、世界遺産1件(文化遺産1件)です。
ハイチでは最近大統領暗殺されたとか。世界ではいろいろな事が起こりますね。
それではハイチの世界遺産を見ていきましょう。
シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園
登録:1982年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅵ)
シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園は、ハイチにある遺跡群で文化遺産です。
シタデルは、1805年から1817年にかけて標高970m のラフェリエール山の頂にアンリ・クリストフが中心となって建造された巨大な要塞です。
サン=スーシ城はハイチのアンリ・クリストフが居城とした建物で、、建造にあたってバロック様式がとり入れられました。内装も高級木材や大理石などを使った豪奢なもので、フランスやイタリアから取り寄せられた建材や装飾品も用いられました。
ラミエールの丘には、ラテンアメリカで初の独立国となったハイチの、独立当初の建造物群が多く残っています。ラミエールの丘とその周辺は1978年に国立歴史公園に指定されました。
【世界遺産を巡る旅】ジャマイカ
140ヶ国目はジャマイカ。2021年10月現在、世界遺産1件(複合遺産1件)です。
ジャマイカといえばウサイン・ボルト。陸上が強いイメージ。
それではジャマイカの世界遺産を見ていきましょう。
ブルー・アンド・ジョン・クロウ・マウンテンズ
登録:2015年(複合遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅵ)、(ⅹ)
ブルー・アンド・ジョン・クロウ・マウンテンズは、ジャマイカの国立公園で複合遺産です。
コーヒーの銘柄ブルーマウンテンで知られるブルー・マウンテン山脈を含んでいます。生物多様性に特色があり、西半球最大の蝶であるパピリオ・ホメルスの希少な生息地であるとともに、絶滅が危惧されているジャマイカクロムクドリモドキの生息地、さらにはジャマイカボア、ジャマイカフチアの保護区でもあります。
また、その核心部分は逃亡奴隷であるマルーンたちの自由獲得の歴史とも密接に関わっています。
【世界遺産を巡る旅】キューバ
141ヶ国目はキューバ。2021年11月現在、世界遺産9件(文化遺産7件、自然遺産2件)です。
キューバと言えばチェ・ゲバラとか。オールドカーなんか有名ですね。
それではキューバの世界遺産を見ていきましょう。
ハバナ旧市街とその要塞群
登録:1982年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅴ)
ハバナ旧市街とその要塞群は、キューバの首都にある旧市街で文化遺産です。
オールド・ハバナは、ハバナ湾に面した地区であり、1519年、スペイン人が建設を開始しました。新世界で産出された財宝を積んだガレオン船の旧世界へ運び出されていく港の役割を果たし、17世紀には、造船の中心地となりました。
街はバロック建築と新古典主義建築によって構成され、20世紀の後半には、多くの建物が廃墟と化しましたが、その後、いくらかの建物には再建がなされました。
トリニダとロス・インヘニオス渓谷
登録:1988年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅴ)
トリニダとロス・インヘニオス渓谷は、キューバにある町と渓谷で文化遺産です。
ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルによってトリニダが建設されたのは1514年12月23日のことでした。トリニダは、砂糖取引がこの地方の基幹産業であった時代の町並みを特に良く保存している街の一つです。
ロス・インヘニオス渓谷は、18世紀末から19世紀末まで砂糖生産の中心地でした。キューバにおけるサトウキビ生産の絶頂期には、渓谷では50以上の製糖工場が稼動し、3万人もの黒人奴隷が工場や周辺のサトウキビプランテーションで働かされていました。全体の面積は270㎢で、70以上の製糖工場跡が残っています。
サンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城
登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅴ)
サンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、キューバにある城塞で文化遺産です。
サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、ミラノの軍事技師の家に生まれたジョヴァン・バッティスタ・アントネッリによって、1637年に設計されました。この城塞はスペイン帝国がアメリカ州で築いた軍事建築物の中で最も状態が良く、完全な形で残っているものとして評価されました。
ビニャーレス渓谷
登録:1999年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)
ビニャーレス渓谷は、キューバにあるカルスト地形の窪地で文化遺産です。
渓谷の麓では、伝統的な農法によってタバコなどが栽培されており、その耕地が独特の景観を提示しています。渓谷周辺の斜面にはいくつもの洞穴があります。また、谷底から島のように屹立する断崖は、モゴーテと呼ばれています。
この地に生きてきた人々は、周囲の自然環境に反することのない良好な関係を築きながら、独自の生活体系を作り上げてきました。そのようにして形成されてきた文化は、彼らの住居である家屋によく表れていると言われています。そのため、伝統に忠実な農法のみならず、人々が歩んできた歴史によって形作られてきた文化的側面も、文化遺産としての価値を認められているのです。
キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観
登録:2000年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)
キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観は、キューバにあるコーヒー・プランテーションの遺跡で文化遺産です。
この地では、かつて、広大な土地を活用したコーヒーの生産が行われていました。そのプランテーションの跡地が、現在まで残されており、それらが当時の農園発展の歴史を物語るものとしての価値を認められています。
一帯がとりわけ貴重なものと考えられているのは、ここに残されているような、コーヒー農園の発展を示す初期のコーヒー・プランテーションの形式が、他の地ではほとんど見かけないという点にもあります。
シエンフエーゴスの都市歴史地区
登録:2005年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)
シエンフエーゴスの都市歴史地区は、キューバのシエンフエーゴスにある古い町並みが対象の文化遺産です。
シエンフエーゴスは1819年に築かれた都市で、当時はスペイン帝国の植民地だったが、実際の入植者はフランス系移民が多く含まれていました。都市は、スペイン本国の啓蒙主義を反映した近代的な都市計画に基づいて、格子状の街路に整然と建造物が並べられ、一体的な景観を呈しています。当初は新古典主義様式が用いられましたが、次第に他の様式が折衷されていきました。
カマグエイ歴史地区
登録:2008年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅴ)
カマグエイ歴史地区は、キューバ中部にある都市で文化遺産です。
カマグエイは、街が完成した16世紀から19世紀に至るまで、スペインの植民地における主要な都市の一つとして、大きな役割を担ってきました。その頃に造られた聖堂や修道院、各種施設などの建物は、現在でも該当の区域内に残されており、当時の街並みを今に伝える大切な建造物となっています。
グランマ号上陸記念国立公園
登録:1999年(自然遺産) 登録基準:(ⅶ)、(ⅷ)
グランマ号上陸記念国立公園は、キューバのグランマ州にある国立公園で自然遺産です。
この地形が織りなす自然美と、カルスト地形の海岸段丘が持つ地学的重要性が評価されています。地形の重要性が評価の中心とはいえ、固有種を多く含む動物相や植物相にも見るべきものは多いです。
グランマ号上陸記念国立公園には、20世紀の中ごろにフィデル・カストロが上陸した場所が含まれていると言われています。現在の同公園の名称にもある「グランマ号」とは、彼が上陸した時に乗っていた船の名前のことを指しています。
アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園
登録:2001年(自然遺産) 登録基準:(ⅸ)、(ⅹ)
アレハンドロ・デ・フンボルト国立公園は、キューバにある国立公園で自然遺産です。
名前の由来はドイツの科学者アレクサンダー・フォン・フンボルトが1800年から1801年にかけてキューバを訪問したことに由来しています。その面積、標高差、岩石学においての複雑さ、地形の多様性、そして固有な植物相、動物相の豊かさが評価されました。
国立公園内を流れる河川は、カリブ諸島において最大の河川です。この国立公園はキューバで最も多湿なところであるとされ、この湿気が生物多様性を育んできました。
まとめ
ドミニカ共和国、ハイチ、ジャマイカ、キューバの世界遺産を簡単にまとめてみました。大航海時代の歴史を感じます。いろいろあっていい感じですね。
早く自由に旅できる日がきてほしいですね!
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