【世界遺産を巡る旅】メキシコ中編

メキシコ

こんにちはnemoです。

新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。

【世界遺産を巡る旅】メキシコ

149ヶ国目はメキシコ。2021年10月現在、世界遺産35件(文化遺産27件、自然遺産6件、複合遺産2件)です。

メキシコはサッカーもなかなか強い。オリンピックも日本に勝って銅だったし。

それではメキシコの世界遺産を見ていきましょう。

古代都市ウシュマル

登録:1996年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)

ウシュマル

古代都市ウシュマルは、メキシコに存在する古典期後期から後古典期のマヤ文明の遺跡で文化遺産です。

マヤの年代記によれば、ウシュマルは、フン=ウィツィル=トゥトゥル=シウによって紀元500年に建てられた町であるといわれています。ウシュマルは何代にもわたってシウ家によって支配され、ユカタン西部でもっとも強力な都市でした。

ウシュマルで最も特徴的なものは、プウク様式と呼ばれる建築様式です。建物は横長で平らな屋根を持ち、壁にはコンクリートが使用されました。壁面は上部と下部に分かれ、上部には石灰岩の切石を用いた精巧なモザイク装飾が見られます。

ケレタロ歴史的建造物地区

登録:1996年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

ケレタロ

ケレタロ歴史的建造物地区は、メキシコの都市で文化遺産です。

町は1531年に建設され、17世紀から18世紀には町が発展し、美しい街並みとなりました。スペイン人と先住民が共生し、繁栄を分かち合った、稀少な植民都市となっています。

サン・フランシスコ聖堂を中心に、西側にスペイン人居住区、東側に先住民居住区が広がり、スペイン人居住区は碁盤目状に整然と区分けされ、先住民居住区は狭く曲がりくねった道路沿いに建物が並びました。

オスピシオ・カバーニャス

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)

オスピシオ・カバーニャスは、メキシコのグアダラハラにある孤児院および病院の複合施設で文化遺産です。

スペイン語圏アメリカにおける最も歴史が古く、規模の大きい総合病院です。1791年、グアダラハラ司教により、感化院、病院、孤児院、救貧院の機能を統合する複合施設として設立されました。

メキシコ・シティ出身の高名な建築家である、マヌエル・トルサーが設計に携わり、パリにあるゴシック様式のオテル・デ・ザンヴァリッドや、マドリード近郊のエル・エスコリアル修道院などに準拠した、新古典様式に分類される建造物となりました。

カサス・グランデスのパキメ遺跡地帯

登録:1998年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)

カサス・グランデスのパキメ遺跡地帯は、メキシコにあ先コロンブス期の考古遺跡で文化遺産です。

14世紀頃に最盛期を迎えたとされる遺跡は、北と南の先住民たちが交流し合った商業都市として大いに栄えました。

パキメ遺跡はまるで巨大な迷路のような姿ですが、これは壁だけが残った町の遺構です。交易の要衝として栄えた町は、敵の襲来から守るために複雑な造りの集合住宅になったと考えられます。

トラコタルパンの歴史的建造物群

登録:1998年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

トラコタルパンの歴史的建造物群は、メキシコにある都市で文化遺産です。

トラコタルパンの町並みはスペインコロニアル様式の都市構造と建造物を良く保っており、スペインとカリブ海地域の伝統文化の融合による、まれに見る重要性と性質を示しています。幅の広い道、鮮やかな色で彩られた様々な様式の建造物、そして公共の場所や個人の庭にある多くの樹木による特徴的な景観を有しています。

ソチカルコの考古遺跡地帯

登録:1999年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)

ソチカルコ

ソチカルコの考古遺跡地帯は、メキシコにある先コロンブス期の遺跡で文化遺産です。

中央メキシコ以外にマヤなど他の文明の影響が見られます。保存状態が非常によく、アステカ以前の中央メキシコの文明を知るための重要な遺跡です。テオティワカンが衰退した後に台頭してきた中規模の都市という説もあり、遺跡の中央に羽毛のある蛇の神殿があり、メキシコ的なものもあるが、人物などはマヤ的でもあり、色々な文化が折り混ざった遺跡となっています。

歴史的城塞都市カンペチェ

登録:1999年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

歴史的城塞都市カンペチェは、メキシコにある都市で文化遺産です。

都市には、スペインの植民地だった時代に、海賊などから町を守るために築かれた城壁や防衛施設が残されています。その保存状態の良さと建築水準の高さから、1999年にユネスコの世界遺産に登録されました。

本来はスペイン人たちが城壁の中に住み、現地の先住民たちはその周辺に形成されたサン・フランシスコ、グアダルーペ、サン・ロマンなどの地区に住んでいました。これらの地区には、当初の聖堂群が残されています。

ケレタロ州シエラ・ゴルダのフランシスコ会伝道所群

登録:2003年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)

ケレタロ州シエラ・ゴルダのフランシスコ会伝道所群は、メキシコにある伝道所群で文化遺産です。

メキシコのキリスト教化の過程で、フランシスコ会士によって18世紀半ばに設立されました。この伝道所群は、伝道が余り行われてこなかったアリゾナ、テキサスなどへの伝道の拠点としても機能しました。豪奢な造形のファサードを持つ聖堂なども評価されています。

ルイス・バラガン邸と仕事場

登録:1991年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅵ)

ルイス・バラガン邸と仕事場は、メキシコにあるルイス・バラガンが、後半生を過ごした自宅兼仕事場で文化遺産です。

20世紀メキシコを代表する建築家の一人であるルイス・バラガン。1939年頃にメキシコシティ郊外に土地を購入し、その一部に1948年に自宅兼仕事場を建てました。それぞれの建物は結ばれていますが、通りに面した入り口もそれぞれについています。

コンクリート作りの三階建てで、総面積は1161㎡です(これがそのまま世界遺産としての登録範囲になりました)。彼の建築は内部空間の使い方や庭園に特色があり、伝統とモダニズム建築を融合させたそのスタイルは、他の建築家たちにも影響を及ぼしました。

テキーラの古い産業施設群とリュウゼツランの景観

登録:1992年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅳ)

リュウゼツラン

テキーラの古い産業施設群とリュウゼツランの景観は、メキシコにあるリュウゼツランの栽培地や醸造所群で文化遺産です。

テキラリュウゼツランは、3500年前にはこの地に自生していたものと考えられ、テウチトラン文化期にこの地に住んでいた先住民たちは、リュウゼツランの様々な部位を、縄や織物、建材などとして活用していました。そして何よりも、その絞り汁を発酵させた飲料を製造するのに用いていました。

16世紀になるとスペイン人のコンキスタドールたちが入植し、フランシスコ会士たちの手によって、この地方の最初の植民都市サンティアゴ・デ・テキーラも建造されました。

メキシコ国立自治大学 (UNAM) の大学都市の中央キャンパス

登録:2007年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)

メキシコ国立自治大学

メキシコ国立自治大学 (UNAM) の大学都市の中央キャンパスは、メキシコにある大学で文化遺産です。

建築家マリオ・パニと、エンリケ・デル・モラルによって設計されました。この大学都市は、当時メキシコシティに点在していた建築物群をまとめて移転するために、かつての固まった溶岩層の上に建造され、1954年に完成しました。建物それ自体は、コンクリートと煉瓦を主体とする共通の建材が用いられ、建物の多くは数階建てで、窓が大きくとられ、内外に庭園が配置されています。

サン・ミゲルの要塞都市とヘスス・ナサレノ・デ・アトトニルコの聖地

登録:2008年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

サン・ミゲル

サン・ミゲルの要塞都市とヘスス・ナサレノ・デ・アトトニルコの聖地は、メキシコにある先史時代の岩絵群で文化遺産です。

18世紀のバロック建築から新古典主義建築へと移行する時期のヨーロッパとラテンアメリカの文化交流、そしてそこから生まれたメキシカン・バロックの精華をよく伝える2つの物件、すなわちサン・ミゲル・デ・アジェンデの町並みと、「メキシコのシスティーナ礼拝堂」の異名を持つアトトニルコのキリスト教建造物群が対象となっています。

カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ

登録:2010年(文化遺産)、2021年拡張 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロは、アメリカからメキシコシティ至る道路で文化遺産です。

カミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロは1598年から1882年までの間、陸上交易の通路として使用されました。直訳すれば「内陸部の王の道」の意味で、「銀の道」の異名を持つように、この道路で約300年の間、運ばれていたのは、サカテカスやグアナフアト、サン・ルイス・ポトシで採掘された銀でした。

また、ヨーロッパからは銀の精錬に使われた水銀が輸入され、メキシコの鉱山に運ばれていきました。銀と水銀の道としての価値だけでなく、スペイン人とアメリカ先住民との間において、多様な交流を促す役割も果たしました。

まとめ

メキシコの世界遺産を簡単にまとめてみました。いろいろあって興味深いですね。実際に訪れたいです。

早く自由に旅できる日がきてほしいですね!

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