【世界遺産を巡る旅】モロッコ

モロッコ

こんにちはnemoです。

新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。

【世界遺産を巡る旅】モロッコ

82ヶ国目はモロッコ。2021年8月現在、世界遺産9件(文化遺産9件)です。

モロッコはいろいろ見所ありますね。実際に行ってみたい。ついにアフリカに突入です。

それではモロッコの世界遺産を見ていきましょう。

フェズの旧市街

登録:1981年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅴ)

フェズ

フェズの旧市街は、モロッコの都市で文化遺産です。

イドリース朝、マリーン朝などのモロッコに存在した過去のイスラム王朝の多くはフェズを首都に定めていました。首都が他の都市に移された時であっても、フェズはモロッコ人にとって特別な都市であり続けています。

旧市街は2.2㎞×1.2㎞の城壁に囲まれており、複雑な街並みから「世界一の迷宮都市」とも呼ばれています。

マラケシュの旧市街

登録:1985年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅴ)

マラケシュ

マラケシュの旧市街は、モロッコの都市で文化遺産です。

12世紀、ムラービト朝のユースフ・ブン・ターシュフィンによってマラケシュは整備され始め、モスクなども造営されました。1120年にクバ・アル・バディンの霊廟も建設されていましたが、次のムワッヒド朝により、ムラービト朝時代の建物はかなり壊されてしまったのです。前王朝の建造物を破壊して新たなものを造り直すのが、当時のイスラム王朝のやり方でした。

1147年、ムワッヒド朝の初代アブド=アル=ムーミニーンにより、クトゥビーヤ・モスクが建設されました。第3代ヤアクーブ・マンスールがミナレットを建て、それは今も旧市街のシンボルとなっています。

アイット=ベン=ハドゥの集落

登録:1987年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅴ)

アイット=ベン=ハドゥ

アイット=ベン=ハドゥの集落は、モロッコの都市ワルザザート近郊の集落で文化遺産です。

隊商交易の中継地として栄えたこの地にはカスバと呼ばれる邸宅が数多く建築され、中でも特に有力であったハドゥ一族が築いたのがアイット・ベン・ハドゥの集落です。孤立した集落であるがゆえに、盗賊などの掠奪から身を守るため、城砦に匹敵する構造になっています。

敵の侵入を防ぐため、集落への入口はひとつしかなく、通路は入り組んでおり、1階は窓がなく換気口のみです。また、外壁には銃眼が施されています。集落の最上階には篭城に備えて食料庫があります。

古都メクネス

登録:1996年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)

古都メクネスは、モロッコの都市で文化遺産です。

城壁に囲まれた都市で、1675年から1728年までアラウィー朝の首都が置かれました。北部には、聖地ムーレイ・イドリスや古代ローマ遺跡で世界遺産に登録されているヴォルビリスの古代遺跡があります。

気候が温暖で水に恵まれたこの土地には、もともとベルベル人が町を築いていましたが、国王ムーレイ・イスマイルが大改造をはかりました。17世紀後半、ムーレイ・イスマイルは当時強大な力を持っていたヨーロッパ諸国と国交を結び、メクネスをフランスのベルサイユのような町にしたいと考えていました。

ヴォルビリスの考古遺跡

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)

ヴォルビリス

ヴォルビリスの考古遺跡は、モロッコにある古代遺跡文化遺産です。

北アフリカにおける古代ローマ都市の、最良の保存状態を誇る遺跡のひとつです。この地は肥沃で、小麦やオリーブオイルなどを多く産出しました。それはローマへと出荷され、この町に富と繁栄をもたらしました。

217年にはアントニヌス勅令を発してくれたカラカラ帝への感謝を捧げた「カラカラ帝の凱旋門」が建造されました。しかしフェズの都市が建設されると、ヴォルビリスの重要性は失われていきました。

テトゥアン旧市街

登録:1997年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅴ)

テトゥアン

テトゥアン旧市街は、モロッコ北部にある町で文化遺産です。

紀元前3世紀には町があったとみられ、ローマ人やフェニキア人のつかった品々がタムダの遺跡から出土しています。白い壁の家が多く、市街地などでは家々が密集している地域が多いです。特にメディーナと呼ばれる旧市街地は低層の白い家々が立ち並び職人らが多く住んでいます。

家の多くはイスラム時代のイベリア半島(アル=アンダルス)からレコンキスタで追われた貴族の末裔が住み、大理石の噴水やオレンジの木などを植えた中庭があります。

エッサウイラのメディナ(旧名モガドール)

登録:2001年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

エッサウイラ

エッサウイラのメディナ(旧名モガドール)は、モロッコの港湾都市で文化遺産です。

歴史は古く、沖合いのモガドール島からローマ時代のヴィラが発見されました。現在の町並みは1765年頃からフランス人テオドール・クールニュの設計のもと建設されました。その港により漁業、商業の中心地と位置づけられています。

マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル様式市街

登録:2004年(自然遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル様式市街は、モロッコの港湾都市で文化遺産です。

町が築かれたのは1502年、ポルトガル人は自然の地形を利用し、海上におよそ300メートル四方の要塞を築きました。インドに向かうポルトガル人の、アフリカにおける居住地域とすることが主な目的でした。

16世紀にはマサガンの都市開発も進み教会も作られましたが、1769年には蜂起したモロッコ軍に破れ、ポルトガル人は追い出されます。現存する16世紀の建築物には、マヌエル様式をみてとれるものもあります。

ラバト:近代首都と歴史都市の側面を併せ持つ都市

登録:2012年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)

ラバト

ラバト:近代首都と歴史都市の側面を併せ持つ都市は、モロッコの首都で文化遺産です。

ムワッヒド朝のアミール・アブドゥルムウミンによって11世紀のリバートがスペインへの攻撃拠点とするべく大規模な城塞に改築されました。1170年には勝利の要塞とよばれ、これが現在の都市名の由来となっています。中世の城塞都市の遺構とヨーロッパ風の近代建築が混在した街並みが魅力です。

まとめ

モロッコの世界遺産を簡単にまとめてみました。魅力的なものが多いですね。ゆっくり見て周りたいです。

早く自由に旅できる日がきてほしいですね!

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