こんにちはnemoです。
新シリーズ【世界遺産を巡る旅】始めました。この旅は世界遺産を勉強しながら各国を周る妄想旅です。ついに日本に戻ってきました。
【世界遺産を巡る旅】日本
162ヶ国目は日本。2021年10月現在、世界遺産25件(文化遺産20件、自然遺産5件)です。
日本。われらが日本。数はそれなりに多いけど、実際に自分が訪れたのはそこまで多くないかな。
それでは日本の世界遺産を見ていきましょう。
法隆寺地域の仏教建造物
登録:1993年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅳ)、(ⅵ)
法隆寺地域の仏教建造物は、奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺および法起寺の建造物から構成される文化遺産です。
この遺産には法隆寺の建造物47棟と法起寺の三重塔を加えた48棟が含まれています。法隆寺をはじめとするこの地域の仏教建築物は聖徳太子と縁が深く、中国の六朝時代の建築の影響を多大に受けています。特に、法隆寺の西院伽藍は、建築年代に諸説ありますが世界最古の木造建築として国際的にも著名です。
姫路城
登録:1993年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅳ)
姫路城は、兵庫県姫路市にある城で文化遺産です。
姫路城は、1346年に赤松貞範によって建設されたという説が一般的です。以後、池田輝政、本多忠政、松平忠明、榊原忠次など何人もの城主がここを居城としました。戦国時代後期から安土桃山時代にかけて、歴代城主によって城郭が拡張されました。江戸時代には姫路藩の藩庁が置かれ、外様大名の監視目的に西国探題が設置されます。
古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)
登録:1994年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅳ)
古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)は、京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件から成る文化遺産です。
清水寺、二条城、平等院、金閣寺、銀閣寺など点在する17か所の寺社と城郭で構成されています。現在の構成遺産は、国宝建造物があるか、庭園が特別名勝に指定されているものだけで構成されています。京都以外にあるものとして延暦寺があります。
白川郷・五箇山の合掌造り集落
登録:1995年(文化遺産) 登録基準:(ⅳ)、(ⅴ)
白川郷・五箇山の合掌造り集落は、白川郷と五箇山にある合掌造りの集落群で文化遺産です。
合掌造りの屋根はおよそ45度から60度まで幅があり、初期のものほど傾斜がゆるい傾向にあります。この傾斜は、豪雪による雪下ろしの作業軽減や多雨地帯でもあることによる水はけを考慮したものと考えられています。
合掌造り家屋の中では、家内工業として和紙漉き、塩硝作り、養蚕が行なわれていましたが、このうち明治時代以降も継続され、家屋の大型化にも大きく寄与したのは養蚕業でした。
原爆ドーム
登録:1996年(文化遺産) 登録基準:(ⅵ)
原爆ドームは、広島市に投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える記念碑(被爆建造物)で文化遺産です。
1915年(大正4年)4月5日に竣工、同年8月5日に開館しました。設計はチェコ人の建築家、ヤン・レッツェル。工事の施工を椋田組が請け負いました。ドームの先端までの高さは約25メートルあり、ネオ・バロック的な骨格にゼツェシオン風の細部装飾を持つ混成様式の建物でした。
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分17秒(日本時間)、アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾「リトルボーイ」を投下。いろいろな理由が推測できますが、ドーム部分は全体が押し潰されるほどの衝撃を受けなかったため、爆心地付近では数少ない被爆建造物(被爆建物)として残りました。
負の遺産として登録されています。
厳島神社
登録:1996年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅱ)(ⅳ)、(ⅵ)
厳島神社は、厳島(宮島)にある神社で文化遺産です。
平安時代の寝殿造りの粋を極めた建築美で知られる日本屈指の名社です。およそ1400年の歴史を持つ厳島神社は、干潮の時には16mの高さを持つ大鳥居を通り抜けることができ、満潮の時は海に浮かぶ社殿を眺めることができます。海の上に浮かんで見える厳島神社は、初代の神主であった佐伯鞍職が創建しました。
古都奈良の文化財
登録:1995年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)(ⅳ)、(ⅵ)
古都奈良の文化財は、日本の奈良県奈良市内にある8件の地域遺産で文化遺産です。
構成遺産としては東大寺、興福寺、春日大社、平城京跡などがあります。日本建築と日本美術の進化のひときわ優れた証拠性を有しており、それらは中国と朝鮮との文化的つながりの結果であり後世の発展に重要な影響を与えることになりました。
日光の社寺
登録:1999年(文化遺産) 登録基準:(ⅰ)、(ⅳ)、(ⅵ)
日光の社寺は、栃木県日光市にある寺社などから構成される文化遺産です。
日光の社寺は、二荒山神社・徳川家康を神格化した東照宮・創建は奈良時代までさかのぼる輪王寺で構成されている世界遺産です。109棟もの建造物群と、その建造物群を取り巻く文化的景観である遺跡で構成されています。
琉球王国のグスク及び関連遺産群
登録:2000年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅵ)
琉球王国のグスク及び関連遺産群は、沖縄本島南部を中心に点在するグスクなどの琉球王国の史跡群で文化遺産です。
今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽の9つが該当します。
中でも有名なのが首里城跡。首里城正殿は、沖縄最大の木造建築物ということだけではなく、日本と中国の建築様式を見事に取り入れた当時の人々の知恵と、沖縄文化の独自性をもっともよく表わしています。2019年に火災があり被害は大きいようですがどうなんでしょうか。
紀伊山地の霊場と参詣道
登録:2004年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅳ)、(ⅵ)
紀伊山地の霊場と参詣道は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道で文化遺産です。
標高1000メートル級の山々が連なる紀伊山地は、太古から自然を神格化して崇める信仰が盛んな地域で、古代の都がおかれた奈良盆地近辺の人々の信仰を集めていました。6世紀に大陸から日本に仏教が伝わってからは、7世紀後半に山岳修行の地となっていき、9世紀に伝わった真言密教は高野山、10世紀から11世紀にかけて盛んになった修験道は吉野・大峰や熊野三山が主な修行の場となりました。
特に熊野三山は神道の信仰の場でもありました。高野山、吉野・大峰、熊野三山は三大霊場として、神仏習合の思想によって密接なかかわりをもち、各霊場へと結ばれる参詣道として、大辺路、中辺路、小辺路、大峰奥駈道、伊勢路、高野山町石道が整備されていきました。
石見銀山遺跡とその文化的景観
登録:2007年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅲ)、(ⅴ)
石見銀山遺跡とその文化的景観は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山で文化遺産です。
最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されますが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされています。
一般に銀山開発においては銀の精錬のため大量の薪炭用木材が必要とされましたが、石見銀山では適切な森林の管理がなされたことにより環境への負荷の少ない開発がなされ、今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点が特に評価されています。
平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―
登録:2011年(文化遺産) 登録基準:(ⅱ)、(ⅵ)
平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―は、岩手県にある、奥州藤原氏が栄えた時代の寺院や遺跡群で文化遺産です。
平泉には、仏教の中でも、特に浄土思想の考え方に基づいて造られた多様な寺院・庭園及ぶ遺跡が、一群としてよく残っていて、その寺院や庭園は、この世に理想世界を創りだそうとしたもので、海外から影響を受けつつ日本で独自の発展えを遂げたものです。
平泉の世界文化遺産は、中尊寺・毛越寺・観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山の5つの資産で構成されています。
富士山-信仰の対象と芸術の源泉
登録:2013年(文化遺産) 登録基準:(ⅲ)、(ⅵ)
富士山-信仰の対象と芸術の源泉は、日本最高峰の富士山で文化遺産です。
古来富士信仰が育まれた霊峰であるとともに、葛飾北斎の富嶽三十六景などに代表される芸術上の主要な題材として、日本国内のみならず国際的にも大きな影響を及ぼした景観を形成しています。
富士信仰の明確な定義はないですが、富士山を神体山として、また信仰の対象として考えることなどを指して富士信仰と言われています。また、芸術でもよく題材にされており、万葉集や富嶽三十六景でも扱われています。
まとめ
日本の世界遺産を簡単にまとめてみました。意外と行ってないところも多いので、いつか行きたい。
日本もいいですね。
早く自由に旅できる日がきてほしいですね!
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